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2025年10月20日

故松尾俊治さん著『最後の早慶戦』が復刊へ

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ベースボール・マガジン社
2008年7月刊
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初版:恒文社1980年4月刊

 運動部OB松尾俊治さんと、当時の早大野球部キャプテン笠原和夫さんの共著『最後の早慶戦』が、松尾さんの娘・孫娘ら家族によって保存会がつくられ、復刊に向けての運動が始まった。

 1943年(昭和18年)10月16日、早大戸塚球場で「出陣学徒壮行早慶戦」が行われた。

 戦争中、野球は敵性スポーツとされた。ストライクは「よし」、ボールは「だめ」、プレーヤーは「戦士」などといった具合で、東京六大学野球は解散・中止に追い込まれた。

 「学徒出陣を前に最後にもう一度、試合をさせてやりたい」。小泉信三慶應義塾塾長が早稲田大学野球部顧問だった飛田穂洲に申し込んで実現したのだ。

 《この本は、学徒出陣の直前、幾多の困難を乗り越えて開催された早慶戦に、全てをかけた学生達の物語です。これは単なる野球の記録ではありません。戦争により青春を突然断ち切られた学生たちの「生きた証」でもあります。最後の早慶戦にかけた学生たちの姿は、現代を生きる私たちに多くのことを教えてくれます。今の平和な日本があるのは、先人たちの犠牲や努力の上に成り立っている。早慶戦や様々なスポーツ、仕事や趣味に打ち込めることは当たり前ではない、それが叶わなかった人たちがいることを忘れてはいけない。また、戦時中においても、両校のイズム、そして飛田先生や小泉塾長のリーダーシップ、学生たちのスポーツマンシップが貫かれていた。その事実に触れ、塾員として、また一人の日本人として大きな誇りを覚えました。最後の早慶戦は、後世に語り継ぐべき物語だと信じています》

 保存会のHPに、こうある。 https://saigo-soukeisen.com/

 松尾俊治さん(2016年逝去、91歳)は、本の巻頭でこう書いている。

 《私は早慶両校の野球部史の中に、このような光輝を放つ1ページがあることに限りない尊さと、いい知れない誇りを感ずる。当時私は慶応チームの中で一番若い新人。ブルペンキャッチャーと文字どおり末席をけがしたのであるが、ユニフォームを着て、このすばらしい感激を十分に味わうことができたのは全く幸運というほかない》

(堤  哲)

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「最後の早慶戦」
後列右端が松尾さん
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