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2025年4月25日

『鉄道ジャーナル』6月号は「最終号」

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 レイルウェイ・ライター種村直樹さん(2014年没78歳)が一番悲しんでいるだろうな、と思った。

 休刊(廃刊)を知らせるFacebookに「種村直樹さんの熱心な読者でした。レイルウェイ・ライターになられたころから執筆をやめるまで30年以上、毎号買ってました。久しぶりに最終号を買いました」と書き込まれている。種さんファンの一人だ。

 『鉄道ジャーナル』は、1967(昭和42)年創刊。今月発売の704号が最終号となった。

 59年入社の種村さんは、東京社会部で国鉄本社「ときわクラブ」員となり、72年10月鉄道開業100年特集を1人でこなした。翌73年、部内異動で持ち場替えを持ちかけられると退社、レイルウェイ・ライターとして独立した。

 『鉄道ジャーナル』のカリスマ編集長だった竹島紀元さん(2015年没89歳)を、当時国鉄旅客局営業課長だった須田寛さん(初代JR東海社長、2024年没93歳)の紹介で知り、意気投合した。

 「その勇気ある転身にはびっくりしましたが、“社会派鉄道誌”を目ざしていた『鉄道ジャーナル』誌としては願ってもない偉大な戦力の出現であり、メイン記事の取材・執筆を担当していただくことになり、『ブルー・トレインものがたり』(1973年7月号)、『振子電車ものがたり』(同年9月号)、『現代日本を支える輸送の心臓』(同年10月号/ワイド現場ルポ)を次々と発表されました」と竹島さんが思い出を綴っている(『気まぐれ列車は今日も行く—レイルウェイ・ライターの20年―』1993年刊)。

 最終号にノンフィクション作家・紀行作家の芦原伸さん(元同誌編集者)が「惜別」を書いている。

 芦原さんが在籍したのは1972年から4年間としているが、種さんが独立して『鉄道ジャーナル』誌に執筆を始めた時期と重なる。《(竹島紀元編集長の)種村直樹氏の起用は『列車追跡シリーズ』の看板となり、在来の鉄道趣味の範囲を超越し、鉄道ジャーナル独自の世界を押し広げた、といえるだろう。いまでは“乗り鉄”は一般用語だが、私の在職中にはその言葉は存在しなかった》

(堤  哲)