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2022年11月24日

元出版局のナチュラリスト、永瀬嘉平さん(81)が「作家・井上靖の世界」を多摩市で語る

 毎日新聞社の先輩でもある井上靖さんとは亡くなるまで交流を重ねた。葬式には受付に立ち、1キロメートルの長い葬列の人々が駆け付けた。

 時間があるとたびたび、世田谷区桜の井上邸へ伺い、夫人のふみさんに可愛がられ、帰りには庭で育てた大根などをただいた。

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「海のシルクロード」の一行(1980年3月23日撮影)
前列左から平山郁夫さん、井上靖さん、清水光照・東大寺管長
最後列右が永瀬さん(40歳)その右前が平山美知子さん

 私が40歳の時に「海のシルクロード」を企画し、井上靖、平山郁夫、奥さんの美知子さん、東大寺管長の清水光照さんに私とカメラマン、それに事業部の松本部長が参加した。

 旅費は毎日新聞社で販売した平山郁夫氏のリトグラフの売り上げの一部、300万円余を平山氏が何かこれで旅でもしましょうよ、となり、仮に「海のシルクロード」と名づけた。シルクロード、船で渡ってきた帰着点が正倉院であり東大寺なので、東大寺管長の清水氏を団長にした。

 最高のホテルに泊まり、最高の料理を味わい、ジャカルタ、ジョクジャカルタ、バリ島など14日間の旅となった。大使公邸での宴会も含めて。

 その最大の地は「ボロブドゥール遺跡」であった。

 井上さんは晩年に『欅の木』という私小説を書いている。ケヤキの木が都市化で伐られているのを憂えた内容で、私はNHKの朝の番組に1週間、歌人の秋谷豊氏と出演して『欅の木』の一節を語って訴えたことがあった。

 井上邸に通っては「国宝百選」を夜遅くまでかかって二人で選んだ。日本には武器の国宝が一番多いのだが、井上さんは武器を選ばなかった。北支に出生して危ない目に遭っていたのだ。

 その井上さんも、一日一本のレミーマルタンが身体にこたえたのか、食道がんから胃がんとなり、卒した。

 いま、井上靖さんの、静かな微笑を思い出している。

(永瀬 嘉平)

 永瀬嘉平さんの講演は12月5日(月)午後1時半から3時半まで多摩市の公共施設「トムハウス」(042-371-806)第一会議室で。「昭和の偉人シリーズ」2回目で会費2,000円、定員20人。希望者は11月末までに永瀬さん090-3803-1292まで。

「トムハウス」ホームページ http://tomhouse.net/about.html