2022年9月20日
変わる韓国、変わらぬ韓国――元ソウル特派員、論説委員、下川正晴さんが3年ぶりの現地取材

8月下旬から16日間、3年ぶりで韓国を取材旅行した。コロナ禍による「空白」期間の中で隣国がどう変容したのか、興味津々だった。次回出版作「台湾と韓国の歴史認識/元ソウル特派員の体験的考察」(仮題)を準備中の私としては、新聞記者本来の「歩きながら考える」手法により、現状を確かめかったのである。
私の韓国滞在歴は、1975年の朴正煕政権時代に始まる。年末年始のソウルを1週間ほど旅行した。韓国はまだ「暗くて貧しい」国だった。暗かったのは開発独裁時代だったからだけではない。空港や街の照明自体が暗かったのだ。当時は夜間外出禁止令があり、1週間に1回は「雑穀米の日」があった。米の自給体制すら実現できていなかったのだ。

2度目は1985年9月から1年間の語学留学だ。全斗煥政権時代である。当時のことについて、今回面談したある穏健派の歴史研究者は次のように語った。
「全斗煥時代は再評価されるべきですよ。あの時代は韓国民が一番暮らしやすかった。物価抑制に努めた。その効果が上がり、賃金アップが物価上昇を上回った。朴正煕時代は経済成長したが、物価も上昇した」
この全斗煥再評価論は、光州事件の暗いイメージがある日本人には、意外なものに聞こえるかもしれない。だが、これは当時の韓国社会の紛れもない一面であった、と私自身の体験からも証言できる。1985年のソウル留学当時、韓国社会は翌年のアジア大会、88年のオリンピックを控えて高揚期にあった。「韓国の1年は世界の10年」というスローガンが現実味を感じられる急激な躍動期だった。街には韓国歌謡「ああ大韓民国」「アパート」の軽快なメロディーが溢れていた。
韓国は日本のメディア報道によって、正確な姿が伝えられていない外国の一つだ。これは多くの場合、ソウル特派員の眼前に生起するさまざまな現実が、あまりにも政治主義的かつ複雑であり、歴史的な虚偽と陰影に満ちているためだ。
私自身の経験からみても、1989年からのソウル特派員時代に台頭した「慰安婦問題」を、冷静に取材対応できたと自己評価できたのは、2014年ごろになってからだ。朝日新聞が一連の慰安婦報道による誤報を訂正謝罪した時である。私は問題発生時から支援団体の慰安婦引き回しに違和感を持っていたし、吉田清治氏らの証言を信用していなかったのだ(1993年9月9日「記者の目」参照)
今回の訪韓で、慰安婦「少女像」前で繰り広げられる少女像維持派と撤去要求派の相対立する集会を見ながら、「長い時間が過ぎて、ようやく真相が理解されつつある」という感慨に囚われた。前政権下で明らかになった慰安婦支援団体代表・尹美香氏の数々の醜聞は、「慰安婦引き回し」運動の当然の帰着であると思えるのだ。
今回の旅行中、ソウルの旧王宮街に所在するお洒落なカフェで食べたモンブランは、驚くほどおいしかった。この「モンブラン体験」によって、韓国の一人あたりGDPが日本に並んだという統計数値を実感として把握した。2005年ごろ、韓国外国語大学で客員教授を務めていた当時ですら、ソウルの都心・光化門にあった私のオフィステル周辺には、おいしいケーキやパンを提供するお店がなかったのである。
朴正煕政権以来の「圧縮発展」が特徴である現代韓国では、儒教的な文化秩序が崩壊する中で、急激に変わらぬものと変わらないものがある。
今回の訪韓で驚いたのが、整形手術に加えたタトゥの流行だ。格段に増えた。女性のへそ出しルックも日本より多いので、タトゥーが丸見えなのだ。ルッキズム(外見至上主義)は21世紀韓国の代表的な表象である。
韓国中部の天安駅窓口では、全羅北道「全州」行きの切符を買おうとして、「全州」という漢字を読めない30歳代と見られる女性従業員に遭遇した。漢字教育を全く受けていないので、こんな有名な地名でも漢字表記されると分からないのだ。「外国人でもないのに、なぜハングルで書かないのか」と彼女に怒られた。ある韓国人の知人は僕の驚きを受けて、「(ハングル専用化した)北朝鮮と同じような国になったのです」と嘆いた。
変わらないのは、窓口係の無愛想な対応だ。その切符売り場のほか、銀行や空港売店で経験した。小さな困難が起きると、それを客の責任にして、一緒に問題を解決しようという態度が見られない。それは以前よりも自己主張が強化された印象を受けた。こういった「ミニ権力者」の唯我独尊的な態度は不変のものである。私のフェイスブックでこの報告を読んだ韓国通は、これを「Kサービス」と批判した。
視野狭窄的な思考が顕著な韓国の民族主義史観(もしくは「反日種族主義」と呼ばれる)は、その「自己中心的な正義主張」の延長線上にあるというのが、私の見立てだ。韓国の歴史認識をレビューする著作を準備してきた私は、主に地政学的な弱点により国民国家の形成に失敗した韓国国民は、解放後も「分裂症的な歴史認識」にあるという有力な韓国人研究者の分析に同意せざるを得ない。
韓国の急激な出生率低下は、「妊娠ボイコット」として英国BBCに揶揄された。これは韓国人口の急激減少を招く事態が、単純に経済的要因に原因があるのではないことを示している。男女関係に於いても従来の価値観が崩壊する一方、自己主張という伝統が強化されていることを意味する。20代、30代男女に見られる子作りをめぐる価値観の分断は、その儒教的伝統の崩壊と固執という「異なるベクトルが産んだ悲喜劇」である。
東アジア各国で一様に見られる出生率低下が、最も極端なのが韓国だ。全国平均0・81。ソウル平均0・6。朴正煕政権後の圧縮された発展が、今や「圧縮された分断→崩壊」に進む兆候ではないか。産業発展と民主化の時代を生き抜いてきた韓国既成世代の憂慮は、1980年代以来、韓国観察を続けてきた私の危惧でもある。
(下川 正晴)