2022年7月19日
58年前の東京五輪女子選手村の毎日新聞語学要員秘話

15日付夕刊に元産経新聞パリ特派員山口昌子さんの記事が載っていた。
《山口昌子さんに聞くパリジェンヌの生き方—他人と比べず我が道行く》
慶應義塾大学文学部仏文科卒、66年産経新聞入社と略歴にあったが、64年東京オリンピックの時、毎日新聞の語学要員アルバイトとして女子選手村担当をしていたのだ。
選手村担当だった社会部OBで、慶大の先輩磯貝喜兵衛さん(93歳)は「パリ特派員が長く、フランスからレジオンドヌール勲章をもらっていますよ。現在もパリに住んでいて、たまに帰国すると連絡があって、お会いしています」という。
夕刊の記事には《山口さんはシングルで、「日本のシングルよりずっと楽よ。未婚だからって肩身の狭い思いをしないですむのはすごくよかったわね」》などとあった。
磯貝さんによると、女子選手村は男子禁制。岡本初子さん(社会部→学芸部)がキャップで通訳の学生をまとめていた。取材配置表には山口さんの他、語学要員とみられる女性の名前が3人載っている。
そのうちの1人が石塚滋子さん。63入社で当時仙台支局員だった石塚浩さん(82歳)の妹さん。日本女子大英文科4年生だった。
「実は、田中真紀子さんも応募していたのですが、当時の運動部長仁藤正俊さん(2006年没92歳)が『政治家の娘はダメ』といって採用しなかったのです」と磯貝さん。
「ある時、ドイツ大使館での催しに田中真紀子元外相がお見えになった。日独友好議員連盟の会長をされていたと思います。私は合唱団の一員としてドイツ国歌を歌ったのですが、真紀子さんはメロディーが留学したアメリカの高校の校歌とそっくりと感激していました。別の機会に夫の田中直紀さんが来られた時、『実は真紀子さんは毎日新聞の東京五輪の通訳に応募されたのですが、採用されなかったのです』と裏話をしました。そうしたら、真紀子さんから私の自宅に電話があったのです。残念ながら私は不在で、女房が電話に出て留守を伝えました。その後電話はありませんでした」と磯貝さんは続けた。
「選手村から」のワッペンが大会期間中紙面を飾った。「キモノにごきげん」と和服姿の女子選手の写真つき。女子選手村で30人分の訪問着を用意して着付けをした。ソ連のラチニナ、タマラ・プレス、豪州のフレーザー、ルーマニアのバラッシュなどをはじめメキシコ、アメリカ、ハンガリーなどの選手たち、と記事にある。

「毎日グラフ」東京五輪臨時増刊号には、女子選手村でツイストを踊る選手の写真を載せ、「女子村サロンは男子禁制とあって、あけっぴろげににぎやかだ。夜になればツイストやサーフィンをみんな楽しんでいた」と説明をつけている。
極めつけは、米コノリー夫妻の金網越のキス。
2人は、1956メルボルン大会で出会って結婚した。夫ハロルド・コノリーはハンマー投げ、妻オルガ・フィコトワ(チェコスロバキア)の円盤投げのともに金メダリスト。「禁断の恋」と騒がれ、プラハで結婚式をあげた。東京大会には夫婦そろって出場したのだ。
(堤 哲)