2022年6月27日
運動部OB松尾俊治さんのイラストが慶應義塾野球展に


後列右端が松尾さん
野球が日本に伝わって150年を記念して慶大三田キャンパスの慶應義塾史展示館(図書館旧館2階)で開かれている「慶應野球と近代日本」に、運動部OB松尾俊治さん(2016年没91歳)が学徒出陣の同僚野球部員に描いたイラストが展示されている。学徒出陣前の「最後の早慶戦」の写真もあったが、上に載せたのは慶應義塾野球部100年史にあった「最後の早慶戦」記念撮影の一部だ。
松尾さんは、1943(昭和18)年旧制灘中学を卒業して入部した。ポジションは捕手。イラストは松尾さんが全軍に声を掛けている図だ。一緒に入部した外野手の松沢喜三郎さん(慶應普通部)が海軍飛行予備学生として入隊する際に描いた。松尾さんも「ほどなく陸軍のパイロット養成課程に志願」しており、「今度は大空で頑張ろうよ」と松沢さんにエールを送った。2人とも無事復員した。
松尾さんは、1948(昭和23)年に卒業後、慶應の先輩が発行していた野球雑誌の記者から50年毎日新聞入社。以来アマチュア野球専門に記者席から試合を見続けた。東京六大学公式記録員、日本アマチュア野球規則委員などをつとめ、『六大学野球部物語』『最後の早慶戦—学徒出陣還らざる球友に捧げる』『神宮へ行こう』『ああ甲子園!!―高校野球熱闘史』『選抜高校野球優勝物語』『都市対抗野球優勝物語』など著書多数。
慶應義塾創立100年の記念事業として出版された『慶應義塾野球部史』(1960年初版発行)でも編纂委員をつとめた。東京六大学をはじめ各大学の野球部史は、この慶應義塾野球部史をお手本としてつくられている。
野球部史に「日本に野球が伝えられて間もなく三田の山にベースボールが始まった」とあり、明治30年頃の写真に「右翼手高石真五郎」と説明がついている。高石は慶應義塾に9年間在籍、最初の3年間は「童子寮」で生活、福沢諭吉から直接教えを受けている。のちの毎日新聞社第7代社長である。
展覧会は8月13日まで。
(堤 哲)

