2022年6月24日
俳人池田澄子さんは、高3のとき、新人記者池田龍夫さんと出会った

俳人池田澄子さんの記事が「週刊文春」の最新号に掲載されている。元整理本部長・故池田龍夫(2018年没87歳)夫人である。
2人の出会い。澄子さんは新潟中央高校3年生。近所の知人の家に呼ばれ、毎日新聞記者池田龍夫さんと出会った。《新潟支局の新人記者。特別カッコ良いとも、話が面白いとも思わなかったが「あ、この人」と直感した》
ビビッと来たのだ。
池龍さんは、1930(昭和5)年生まれ。旧制成蹊高等学校から成蹊大学政治経済学部を卒業して53(昭和28)年入社。駆け出しが新潟支局だった。
澄子さんは、新潟市の第四(だいし)銀行本店(現第四北越銀行)に勤めた。
《彼は逢って間もなく東京本社に戻ってしまいました。だから結婚までいわゆる遠距離恋愛。直接会うのは半年に一度くらい。いざ逢ってもモジモジしているうちに時間が経ってしまい、慣れたころにはまた離れ離れ。電話はなかったから、毎週手紙を書き合ってね》
《私が書く人になったのは、こんなことも影響しているかもしれないわね。夫との膨大なラブレターは、夫には内緒で少しずつ捨てました。だって死後に、子供に読まれたら恥ずかしいでしょ(笑)》
1958(昭和33)年に結婚。《初恋の人と結婚して、その後も浮気もしたことがないっ。つまらない人生だわねー(笑)》
俳句との出会いは、35歳のころ。41歳の時、『俳句研究』の特集で三橋敏雄を知り、その俳句に魅せられた、という。
《俳句を考えるのはいつも掘り炬燵のある居間。俳句になりそうなことはないかと思いを巡らせたり、メモしておいたものを眺めたり、パソコンにいれたものを推敲したり》
《「待ち遠しき俳句は我や四季の國」という三橋敏雄の句があるのですが、それは私にとってはお守りのような句で、今の私の思いそのもの。いつだって自分の句との出会いが待ち遠しい》
1988(昭和63)年、52歳で第一句集『空の庭』を上梓、現代俳句協会賞を受賞。第七句集『此処』は、第72回読売文学賞詩歌俳句賞、俳句四季大賞を受賞した。
お孫さんが3人。今も池龍さんの生家があった土地で暮らす、とある。
澄子さんの紹介に次の3句があげられている。
「じゃんけんで負けて蛍に生れたの」
「ピーマン切って中を明るくしてあげた」
「前ヘススメ前ヘススミテ還ラザル」
(堤 哲)
*池田龍夫さんの追悼録は、諸岡達一さんがこのHPに書いています。ご参照を。