2022年6月6日
お隣さんだった文化勲章受章の写真家田沼武能さん

写真界で初めて文化勲章に輝いた田沼武能さんが6月1日急逝された。93歳だった。
田沼さんは、竹橋パレスサイドビルの2階に長いことオフィスを構えていた。いわばお隣さんだった。いつもニコニコ、温厚で怒った顔を見たことがない。「木村伊兵衛、土門拳の2人に仕えたのは、オレぐらいではないか」と、よく話していた。
田沼さんの業績として毎日新聞は《95年からは、日本写真家協会会長として写真界の発展にも貢献。急速なデジタル化で劣化・消散の危機にある貴重なフィルムの保存が国の責務と訴え、「日本写真保存センター」の発足に関わった》ことを挙げた。
文化勲章受章を祝う会で、最初にお祝いを述べたのは、現衆議院議長の細田博之さんだった。細田衆議院議員は、「日本写真保存センター」設立推進連盟の代表をつとめていた。
続いてトットちゃん黒柳徹子さん。「私は芸能生活60年ですが、田沼さんはカメラマン70年。先ほど細田博之衆院議員が主賓の挨拶をされましたが、田沼さんは壇上からカメラを向けていました。いつまでも現役でいてください」

それがこの写真だ。
私(堤)は、夫婦の日特集で田沼武能・敦子ご夫妻にインタビューをしたことがあった。敦子夫人と2回り、24歳も年齢が違うのだが、仲の良い夫婦だった。
田沼さんの写真展に、歯科大学を卒業して開業医に勤めていたアマチュア写真家・敦子さんが訪れたのが出会いだった。
文化勲章受章を祝う会で、田沼さんは、こう挨拶した。「明日が結婚記念日なんです。だからその前日を選びました」と。さらに「(結婚を)向うの両親が許してくれない。すでに両親とも亡くなりましたが、受章を喜んでくれていると思う」と話した。
脇の敦子夫人が目頭を押さえた。印象的な挨拶だった。
「サムエル・ウルマンの詩『青春』ではありませんが、年齢は関係ないんです。今がシュン(旬)なのです」
ちょっと早すぎました、田沼さん!
(堤 哲)