2022年5月9日
「点毎」100年、ヘレン・ケラー女史視察を取材した銭本三千年さん
5月11日、「点字毎日」は創刊100年を迎える。戦争中の用紙難で週刊から旬刊になったことがあるが、休刊したことはない。
《初代編集長は全盲の日本人で初めて海外留学したと言われる中村京太郎だ。点毎を通して、自身が過ごした英国など海外の進んだ取り組みを伝えた》
点毎の佐木理人(さきあやと)記者が毎日新聞本紙に連載している「心の眼」(7日付け)からだが、創刊の経緯が『毎日新聞百年史』にある。
「新聞社というものは長い間には、知らないうちに罪を重ねているものだ。善根を積んで、同業者の罪滅ぼしをしたらどうか」
ロンドンに留学中の「大阪毎日」記者河野三通士(のち外国通信部長→編集副主幹→編集総務)は、好本督(ただす)氏からこう言われた。好本氏は、網膜色素変性症のため視力が減退、英国で貿易商を営む傍ら盲人福祉に尽し『日英の盲人』(1906年刊)を著している。
帰国した河野は、点字新聞の発刊を提案する。これを当時の本山彦一社長が受け入れた。大毎新社屋堂島本社(現堂島アバンザ)完成記念として「サンデー毎日」「英文毎日」などともに創刊したのだ。採算を度外視した社会貢献事業だった。1922(大正11)年である。
初代編集長中村京太郎は、盲人初の文部省派遣海外留学生だった。好本氏が費用全額負担をして、盲人の留学制度を実現させている。
「点毎」は、1963(昭和38)年に菊池寛賞を受賞した。それを記念して翌64(昭和39)年に「点字毎日文化賞」を創設、第1回の受賞者に好本督氏を選んだ。
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好本氏は1973年に95歳、初代中村編集長は1964年に85歳で亡くなったが、この2人に直接会って、話を聞いた元「点毎」編集長が存命だ。

銭本三千年さん。ことし7月19日に93歳の誕生日を迎える。1954(昭和29)年同志社大法学部卒、毎日新聞入社。71(昭和46)年2月から「点毎」編集長を15年務めた。
1955(昭和30)年、3度目の来日をしたヘレン・ケラー女史が「点毎」を視察。「点字は盲人を暗黒から解放しました。日本の盲人は”点字毎日”で自らの言論を得ました」と語った。
その取材に当たったのが入社2年目の銭本さんだった。
銭本さんは定年退職後、岡山・吉備高原都市へ転居して、高梁市の短大に介護福祉士養成の保健福祉専攻コースを創設し、保健科保健福祉専攻主任教授を務めた。
銭本さんは、ツイッターで「2020年3月持病の腎不全が悪化し腹膜透析で余生を繋ぐ身に(身体障害者手帳1級)」と自己紹介している。発信の最後がことし2月25日。お元気か気になる。
(堤 哲)