2022年3月28日
銀座尾張町(現銀座5丁目)にあった「東京日日新聞」

BSテレ東「池上彰と歩く謎解き日本地図」で、3月27日(日)夜、明治35(1902)年の銀座地図が紹介された。スマホで撮影したのが上図だ。
右端が銀座4丁目交差点。かつては尾張町交差点と呼ばれていた。タクシーで「尾張町交差点」と言うと、ここに連れて行ってくれた。今はどうか?
その角4か所すべてが新聞社だった。地図にあるのは、現在三越のところに「中央新聞社」。晴海通りを隔てて「毎日新聞社」。むろん現在の毎日新聞とは違う。
和光・服部時計店のところは「朝野新聞」。三愛のところは「東京曙新聞」だった。
「東京日日新聞」の日報社は、現EXITMELSA(イグジットメルサ)のところ。朝比奈知泉社長となっているが、社史に朝比奈社長はない。初代福地源一郎、2代目関直彦、3代目伊東巳代治。枢密院書記官長伊東巳代治が日報社を買収したのが1891(明治24)年11月。伊東は在官のままで、「表面に名前の出ることを避けて、東京新報を主宰していた朝比奈知泉を編集主幹に迎えた」(『毎日の3世紀』。
銀座煉瓦街最大、450坪の敷地があった呉服商「恵比寿屋」の跡で、1877(明治10)年 1月1日付からここで発行した。1909(明治 42)年3月に有楽町に移転するまで、30年余、銀座通りの真ん中にデンと座っていた。
(堤 哲)