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2022年3月1日

阿部菜穂子さんの『チェリー・イングラム』中国語版-翻訳は8ヶ国語に

 岩波書店から2016年春に出版された拙著「チェリー・イングラム 日本の桜を救ったイギリス人」がこのほど、中国語に翻訳された。実はこの本は、日本語版が出た後、現在私が住んでいるイギリスで本にすることになり、日本語版を全面的に書き直して2019年春、「Cherry Ingram  The Englishman Who Saved Japan’s Blossoms」のタイトルで出版された。それが思いがけなく好評で、その後、イタリア語、ドイツ語、スペイン語、オランダ語等に訳された。今回の中国語版を含めると、本は8か国語で出たことになる。なお、中国語版はオリジナルの日本語版の翻訳、その他の言語は英語版の翻訳である。

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 中国語版の表紙は濃いピンク色の下地に、広重の浮世絵(カラー)や白黒のイングラムの写真があしらわれており、目を惹くデザインだ。中でも「イキ」なのは、タイトルである。中国語の題名は日本語と同じ「チェリー・イングラム 日本の桜を救ったイギリス人」だが、その「イングラム」が「櫻格拉姆」と訳されているのだ。中国語に堪能なミライト・ホールディングス(NTT関連会社)幹部、西岡博之さん(前NTTヨーロッパ取締役)によれば、中国語では固有名詞を音訳か意訳で漢字に置き換え、「イングラム」は普通「英格拉姆(イン・ガゥ・ラー・ムー)」と訳される。しかし、今回は「英」ではなく、「桜」の中国語「櫻花・YingHua・インフゥア」の「櫻(イン)」を使っている。桜の育成と保存に全生涯をかけたイングラムを表すために、翻訳者があえて「櫻」の字をあてたのである。中国人の友人に確認したところ、この友人も「翻訳者の大変独創的な発想だ」と感心していた。

 実はこれは、中国版の表紙を私がフェイスブックに投稿したところ、西岡さんがコメントを書いてくれたためにわかったことで、その後西岡さんとメールやビデオ電話で会話を進めたところ、西岡さんはご親切にも表紙に記されている出版社(社会科学文献出版社)の論評まで翻訳してくださった。

 それによれば、物語は「‘無言の外交官’である桜が、日英両国間での野蛮と文明、戦争と平和、近代化と民族主義について書き記した逸話」である、としている。そして、「よく知られているように、桜は日本の象徴である。しかし、ほとんど知られていないことだが、一般的な意味での現代日本の桜には、わずか百年余りの歴史しかなく、さらに、桜と武士道との結びつきは、第二次世界大戦時の国家を挙げての宣伝の産物であったのである」。さらに、日本にはかつて多種多様な桜があったが、明治維新と戦後復興期において大量の‘染井吉野’が植えられ、その他の品種が絶滅寸前にまで至ったとし、「この本は桜の多様性を保護した英国の園芸師イングラム氏と日本の‘桜保護者’との2大陸・2大洋をつなぐ感動的な逸話である」と述べている。

 西岡さんのおかげで、中国の出版社が本のどこに目をつけて翻訳してくれたのかがよくわかった。過剰にナショナリスティックになることなく、バランスのとれた論評だと思う。

(阿部 菜穂子)

 阿部菜穂子さんは国際基督教大学卒業。毎日新聞記者を経てジャーナリスト、ノンフィクション作家。毎日新聞では政治部、社会部、外信部に在籍。2001年8月からイギリス・ロンドン在住。2016年春、20世紀の初めに日本の桜をイギリスに紹介したイギリス人園芸家、コリングウッド・イングラム(1880-1981)の生涯を追う「チェリー・イングラム 日本の桜を救ったイギリス人」を岩波書店から出版。第64回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した。