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2020年9月7日

「新聞もなんとかせい!」元朝日新聞販売局丸山清光さん ――他人事ではなく、新聞販売の現場に「喝!」

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 明治大学野球部の監督を37年、東京六大学野球リーグ戦優勝15回の最多記録を持つ「御大」島岡吉郎(1911~1989)の「人間力野球」を、1975(昭和50)年度のキャプテン丸山 清光さん(67歳)が綴ったノンフィクションである。

 島岡は明大の学生時代応援団長。1952(昭和27)年監督に就任するが、明大野球部のHPに「キャプテン以下11人が退部」「この退部事件は毎日新聞のスクープで部外者の知るところとなり」とある。

 「黒雲なびく駿河台」「明大野球部瓦解の危機に瀕す」が見出しだった(同HP)。

 しかし、この素人監督は就任4シーズン目に優勝。野球殿堂入りをしている。

 筆者の丸山さんが投手でキャプテンだった1975(昭和50)年は春秋連覇した。前年秋、法大1年生の江川卓投手に連敗した。「浮き上がってくる剛球と天井から落ちてくるカーブに完璧に抑えられた」のだ。

 島岡監督は翌春ハワイ遠征をして、江川対策を練る。上背のある投手の投球に慣れることと、高目の投球には手を出さないこと。

 帰国して、合宿所内に貼り紙が出た。「打倒江川! 江川の高めの球を捨てろ」

 あげくフリーバッティングでは、ピッチャーマウンドの2メートル前から打者の胸元へ速球を投げさせ、打者はバットを振らない「見逃す打撃練習」をした。

 結果〇3-2、●2-8、〇4-2で明大が「打倒江川」を実現した。

 そして秋——。初戦の東大に連敗した。次の立大に2勝1敗。早稲田、慶應に連勝して天王山の法大戦。江川は肩を痛めて不出場。明大は連勝して、早慶戦で早大が連勝すると優勝決定戦だったが、第2戦に早大が敗れ、練習グラウンドで島岡監督の胴上げとなった。六大学野球史上、東大に連敗して優勝したケースは、このシーズン以外にない。

 江川は、翌76、77年の春秋に優勝して4連覇で卒業した。1年生の74年秋も優勝、明大が優勝した75年は春秋とも2位だった。4年間の投手成績は47勝12敗。山中正竹(法大)の48勝に次ぎ歴代第2位である。

 丸山さんは卒業して1976年(昭和51年)4月、朝日新聞に入社する。「入社31年目に関連企業に出向…社長業を2社、12年」。優秀な販売担当員だった。

 最終章の見出しは、《新聞応援歌「新聞もなんとかせい!」》。

 入社時、朝日新聞の発行部数は700万部。「昭和の終盤に800万部」だった。

 しかし、「平成に入ると販売部数の伸長が止まり次第に減少を始めた。100%前後あった対世帯到達度が低下を始め、今では実質50%を割り、エリアによっては40%を下回り、止まる気配はない」。

 「そして、実売を上回る過剰な販売部数が大きな障壁となり、販売店の経営を悪化させている」と、深刻な販売現場の衰退を嘆いている。

 丸山さんはこう訴える。

 「新聞がなくてはならない『文化的日用必需品』として、形を変えても人々に再び手に取ってもらう日が来ることを祈って止まない。御大の『なんとかせい!』の一言を贈りたい」

(堤  哲)

 文藝春秋企画出版部発行、定価:本体1,800円+税。ISBN:978-4-16-008979-2