元気で〜す

2021年9月24日

新聞、テレビを〝オワコン〟にしないために――RKB毎日放送に移って8年、元外信部長、飯田和郎さんの提言

 「新聞とテレビ。そんなに変わらないでしょ?」

 2013年春、毎日新聞社からRKB毎日放送へ移りました。それ以降、多くの方から同じことを聞かれました。

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福岡市早良区のRKB放送会館ロビーで

 「いえいえ、違うところばかりで…」

 「どこが違うの?」

 そんなやりとりの後、私は何度かこう答えました。

 「新聞社にいた時は5分ぐらい電話取材して100行の原稿を書いていましたけど、テレビは2時間カメラを回して番組で使うのは数分ですからね」

 少々誇張をまじえて説明してきましたが、新聞以上に「画(映像)の強さ」が優先されるのがテレビです。放送記者の取材アプローチも、新聞記者のそれと大きく異なることがあります。

 RKBは今年、創立70周年を迎えました。全国で四番目、西日本では初めて開局した民放です。新聞に全国紙と地方紙があるように、放送局もキー局とローカル局に分けることができます。RKBはTBSをキー局とするJNN系列のローカル局。テレビは福岡県と佐賀県、ラジオは福岡県がそれぞれ主な視聴、聴取エリアです。

 私の新聞社在籍30年間のうち、最初の8年間を過ごした佐賀市、北九州市はいずれもRKBの電波が届く範囲でした。新聞からテレビへ。「全国」から「地方」へ。戸惑いもありましたが、かつて一緒に警察を回っていたRKBの同世代とも久々に再会できました。22年ぶりに九州へ戻ってきたのは縁だったのかもしれません。

 私が籍を置いた二つのメディア、新聞と放送はともに、「オワコン」(終わったコンテンツ)と呼ばれていると聞きます。確かにテレビの地上波放送を観る人は減少し、ラジオを聴く人も減っています。民放ですから、CM広告が大きな収入源です。スポンサーからすれば、購買意欲の高い若い世代をターゲットにしたいのですが、その若者はスマホには見入るものの、彼らのテレビ離れ、ラジオ離れが進んでいます。

 もちろんテレビから離れない人たちもいます。だけど新しいテレビ受像機はいろいろな機能を備え、YouTubeも、有料ネット番組も視聴が可能です。「テレビ(=テレビ受像機)は観るけど、テレビ(=地上波番組)は観ない」と言われるのは、こういうことです。CM収入の減少はコロナ禍だけではなく、難しい時代に入っていることを示しています。

 暗い話ばかりを並べてしまいました。還暦を過ぎたせいか、RKBにいる若者たち、この業界を志望する若者たちに、どんな組織を残せるかを考えることが多くなりました。

 記者出身だからでしょうか。やっぱり良質のニュースを送り出し、地域から信頼してもらうこと。それに尽きるのかな。地方にいると強くそう思います。

 もちろん、課題は少なくありません。例えば、前述の「強い画」を得るには時間も人手もお金もかかります。取材に大人数を充てることはできません。働き方改革に知らぬ顔できない時代です。予算も増やせません。最近ではデジタル媒体への対応も欠かせません。新聞社であれ、放送局であれ、悩みは同じでしょう。

 でもライバル社には負けたくないし、若い人たちにこの仕事のやりがいと面白さを知ってほしい――。こちらも、新聞であれ、放送であれ同じです。在籍したままなら多分気づかなかった、今だからこそ見えてくる毎日新聞のチカラを感じるようになりました。テレビにも新聞にはない長所があります。新聞社は放送局を時にずる賢く「利用」してほしいと願っています。

 一例として、こんな取り組みはどうでしょう。取材テーマによっては合同でチームを作り、それぞれが得た素材を共有し、タイミングを合わせてそれぞれの媒体で打つ……。オワコン同士(?)、新聞社と放送局共同の「実験」を始められないでしょうか。

 RKBと西部本社が合同で取り組んだ北九州市5市合併促進キャンペーンは高く評価され、1962年度の新聞協会賞(編集部門)を受賞しました。RKBにとって唯一の協会賞受賞です。

 半世紀以上前の両社の先人たちの方が、ずっとアイデアに優れていたのでしょう。

 最後に近況報告です。RKBで8年間務めた役員をこの夏、退きました。違う形でしばらく会社に残りますが、少し時間ができそうです。来春からは会社近くの私大の大学院で学びます。これなら会社に在籍しながら、通えます。専攻はやはり新聞社時代からのテーマだった中国に関係します。

 毎日新聞にいたころを振り返ると、難病で若くして他界した先輩、雲仙・普賢岳で火砕流にのみ込まれた同期、海外での業務中の事故で今も入院生活を送る後輩の顔、顔がなにより浮かびます。健康な日々を送れる自分は本当に幸せです。それだけに今できることを、の思いが募ります。

(飯田 和郎)

※飯田和郎(いいだ・かずお)さんは1960年、東京都生まれ。関西学院大経済学部卒。83年入社。佐賀支局、西部報道部を経て外信部。北京と台北で計3回特派員を務め、外信部長。2013年3月に退社