元気で〜す

2021年5月9日

元中部本社代表・佐々木宏人さん⑫ ある新聞記者の歩み ⑪トマトから鉄鋼まで 自由な社風のもとでのびのび取材 抜粋

(インタビューは校條 諭さん)

 全文はこちらで https://note.com/smenjo

 元毎日新聞記者佐々木宏人さんは、入社後約5年間水戸支局に勤め、そのあと28歳で経済部に配属となりました。政治部に移るのが35歳のときですが、その間8ヶ月ほど語学留学で英国に行ったので、経済部生活は実質6年強ということになります。佐々木さんの新聞記者としての骨格がこの6年間でできた印象を持ちます。後年また経済部に戻ってきますが、今回は第1次経済部時代のしめくくりです。

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目次

経済部時代(7)

◆「冬のトマトは石油のかたまり」
◆部会では自由に発言 時には激論 
◆社説は特に意識になし
◆「重工記者クラブ」配属 春闘取材の相手から飲まされて
◆「鉄は国家なり」鉄がいちばんエライ時代
◆経営者の運と不運をまのあたりに

経済部時代(7)

◆「冬のトマトは石油のかたまり」

Q.ところで、『当世物価百態』(毎日新聞経済部編、1976年1月20日発行)という本が、佐々木さんが英国留学に行く同じ頃に出ていますね。佐々木さんが書かれたと以前伺ったトマトの話がトップに載っていて、たいへんおもしろかったです。「冬のトマトは石油のかたまり」なんてのは、いい表現ですよね。70の品目ごとに書かれているんですね。

 トマトって調べてみたらおもしろかったんですよ。ほかにもいくつか書いていると思うんだけど、どれだったかなあ・・・。これは当時の経済部長の西和夫さんが、ゴーサインを出した企画だったと思います。東大経済学部出身のシャープなセンスを持った人で、後に編集局長になります。第一次石油ショックがもたらした“狂乱物価”が落ち着いて、ようやく世界経済が景気回復への軌道に乗った時期、物価を鳥の目ではなく、虫の目でみてみようという発想でスタートしたと思います。 今この本を見ると「生鮮食品」にトマト、サンマ。「加工食品」にたくあん、インスタントラーメン。背広などの「衣料品」、ラジオ、大工の手間賃などの「家具、住居関係」など本当に雑多な商品が扱われていて驚きます。今の各社の経済面を見ても、こういうセンスの企画はないように思いますね。今は生活家庭部の守備範囲になるんですかね。でも今読んでも面白い企画ですね。

Q.いまだったら書いた人の署名が入るからわかるんですけど、個人名は入ってないですね。

 当時は記者名を入れていませんでしたね。だから記者個人がキチンとスクラップしなくてはいけないんでしょうが‐‐‐、ズボラだからやってないんだよね(笑)。この「トマト」の記事には思い出があって、フジテレビのアナウンサーで有名だった田丸美寿々さんと結婚した、商社問題に強かったフリー・ジャーナリストの美里泰伸さんが丸紅の広報室に行ったとき出会って、「佐々木さんが書いたトマトの原稿面白かった」とほめてくれたことを思い出します。

Q.経済部長の西和夫さんのお名前だけは代表として入っていますね。

 西さんは最近亡くなりました。90歳くらいだったと思いますが、最期までしっかりなさってました。横浜にお住まいで、時々、東京に出て来られてはご一緒に飲みました。でも彼は「佐々木君は会社を辞めてから活躍している。原稿も上手くなった」と、当方が2018年出版したノンフィクション「封印された殉教」(上下巻、フリープレス刊)などをほめてくれました。嬉しかったナ。出来たら現役の頃、ほめてもらえればよかったんですが(笑)

この『当世物価百態』の各項目の最後に「格言」が出てるでしょ?

Q.出てますね。トマトのところは「どんな虫けらだって、踏みつけられりゃ、何を!というかっこうをするものだ セルバンテス」とあります。

 こういうのを入れようっていうのは、ぼくが考えたんだと思うんだけど・・・。「馬鹿野郎、違うぞ」って言われるかもしれないけど、当時、なんかこういう格言使うのが好きだったんですよ。わざわざ「世界の名文句引用事典」(自由国民社刊)なんて本を買い込んで読んだりしてましたから。

 ぼくは原稿あんまりうまくなかったんですが、認められたっていうのは、石油ショックのとき・・・いや、終わってからかなあ、あの前後に石油危機の検証みたいな原稿を書いたんですよ。4回か上中下だったか・・・。その原稿はすごく手法が新しかったのです。「情報」、「証言」、「検証」という項目を使って、こういう情報があります、たとえば「アラブの石油埋蔵量は40年と言われています」が、その「証言」はこうです。それを「検証」するとこうですという手法です。一回の連載に5本くらい「情報」、「証言」、「検証」を入れたかな。高度な分析原稿が下手だから苦し紛れに編み出した手法なんです。

 担当デスクなんかに、「新しい手法だ。すごくおもしろい」って、ほめられた覚えがあります。それを読んだ週刊東洋経済に原稿書いてくれって言われたので、同じパターンではよくないと思って、普通の原稿で書いたら、その後、注文が来なくなっちゃいました(笑)。

◆部会では自由に発言 時には激論 

 毎日の経済部は自由に書かせるというか、新しい角度で書かせることについては臆病ではなかったですね。おもしろいからやろうかって。

Q.『当世物価百態』の前書きには1975年7月から毎週4回、約4ヶ月連載されたとあるので、貿易記者クラブの頃ですか?

 そうそう、商社担当の頃ですね。当時、経済面に加えて新経面(新経済面)というのができて間がない頃でした。他社に先がけて実体経済っていうのは民間にありというので作られました。日経産業新聞なんかもそういう流れの中で登場したということだと思います。

Q.年表を見ると日経産業新聞、1973年創刊ですね。

なるほど、少し早いですね。新経面は、ぼくが経済部に来る前の年にできたと思います。