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2021年3月9日

本山彦一翁の書と地図 ― 元経営企画室委委員、吉原勇さんが保管

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 私のマンションのリビングには力強い見事な筆跡で「奮闘不撓」と書かれた大きな額がかかっている。長さ1・8メートル、高さ45センチほどある。大きな文字の横には「為京都同人」「松蔭題」とやや小振りな字で書かれている。松蔭というのは、毎日新聞の中興の祖といわれる本山彦一翁の雅号であり、翁が京都支局同人のために揮毫したものなのである。

 私が毎日新聞社京都支局から中部本社報道部に転勤になった昭和40年8月、支局長だった橋本和蔵.さんが「支局にあるもので何か欲しいものがあったら遠慮なく言いなさい。餞別としてあげるから」と言うので、私が希望したのがこの揮毫だった。支局長はわずか1年3か月で転勤を命じた私を憐れんでいたようだった。

 私がなぜこの揮毫を指定したかと言うと、この偉大な人物の書いたものが湿気の多い三条御幸町の京都支局地下室の床、それも多くの額の一番下に放置され、朽ち果てようとしていたからだった。

 なにしろ本山彦一翁は明治36年に大阪毎日新聞社長に就任してから昭和7年に退任するまで30年間も社長に在任、その間、部数を大幅に伸ばし、東京日日新聞を合併して今日の毎日新聞を作り上げた人である。その書は大事にしなくてはならない。

 支局長の承諾を得たので地下室に行き、カミソリで額から切り取った。一部ボロボロになって腐っていた。先輩記者の岡本健一さん(のちに稲荷山鉄剣のスクープで新聞協会賞受賞)が「父は表具師をしているから表装してあげる」と言って引き取り、一か月くらい経って名古屋のアパートに送ってきてくれた。その後、結婚した妻も本山彦一翁をよく知っており、巻物になっていたこの書を見つけて額装し、飾るようになったのである。

 我が家には本山社長時代に部数拡張のために付録として発行した新聞紙見開き大の大きさの都道府県分県地図が20数枚残っている。小さな字名まで記載されており今でも役に立つ。北海道や台湾、朝鮮などは道や省ではなく全体を2枚、ないし3枚に分割されて作られているから総数55、6枚になったと思われる。それを大正2年(1913)ごろから同7年にかけ、月1回付録として読者に配っていたのである。社史を見ると大正2年には47万部だった部数が同7年には80万部になっている。地図は部数拡張の原動力になっていたのである。全体を知りたいと経営企画室在勤のとき、どこかに保管されているかどうか調べてみたが、見つからなかった。幻の地図になっているようだ。

 私は今、終活を始めている。本山翁の書と地図をこの世に残すにはどうすればよいか悩んでいる。新聞博物館が引き取ってくれるかどうか、一度相談してみようか、と思うこのごろである。

(吉原 勇)

 吉原さんは、昭和39年(1964)入社。京都支局→中部本社報道部・経済部→東京本社経済部副部長→大阪本社経済部副部長→経営企画室委員→西部本社代表室長→編集委員→下野新聞社監査役・同取締役。作新学院講師など歴任。