2021年3月3日
北大山岳部と毎日新聞(その2)―山岳部OBだった浜名純さんと藤原章生さんのいま
前回予告したように、北大山岳部の後輩の毎日新聞記者・藤原章生君と私で2月24日、「文学賞受賞への道のりと、人間社会の先達アフリカ 『新版 絵はがきにされた少年』刊行記念オンライン対談」を行った。彼は2005年に『絵はがきにされた少年』で開高健ノンフィクション賞を受賞した。昨年それを改訂した『新版 絵はがきにされた少年』を柏艪舎から刊行したのを機に、販売促進を兼ねて開催したのである。
その宣伝の惹句がなかなかおどろおどろしい。
「浜名さんは、藤原さんの山岳部時代の先輩で、書き上げたばかりの『絵はがきにされた少年』の価値を見出し、まる4年の歳月を経て、受賞にこぎつけた立役者です。
著者の原稿のどこに魅力を感じたのか。出版社に持ち込み続けた4年間、どんな紆余曲折があったのか。名著を世に送り出す浜名さんの眼力、アフリカを通して描かれた人間哲学など、二人の対話をお楽しみください。二人が目指してきたヒマラヤなど山登りへと話が広がるはずです」
というものだ。なんともおもはゆい。というより、「名著を世に送り出す浜名さんの眼力」などと言われると、「何を言っているのだ。いかにも“目利き”のように言われているが、目利きなんて、どこかのテレビの○○鑑定団の安手のいい加減な鑑定士を想像してしまうじゃないか」と素直でない私は思ってしまう。

閑話休題。素晴らしい原稿だから、ぜひ世に出して皆さんに読んで欲しいと思ったのは、紛れもない事実である。そして、いくつもの出版社に売り込みに行き、大手出版社では上から目線の偉そうなことばかり言う編集者から拒否され続けたのも事実である。しかし、最後には「開高健ノンフィクション賞」を受賞し、日の目を見ることになったのだ。
では、この本のどこに私は惚れたのだろうか。それは、一般的な特派員の原稿と一味違っていたからだ。きっと新聞社が海外の特派員に望むのは、その国の政治・経済・社会の動き、それも「今」を読者に伝えるということだろう。災害や事件もそうだ。
しかし、彼の原稿は違った。その国の“今”を伝えるものではない。明日の朝刊に載せなくてはいけないものではないのだ。彼は市井に生きる一人の人間に焦点を当てる。その人は何故今この姿でここにいるのか、どのような人生を歩むことで、ここに辿り着いたのか。それにはアフリカの歴史が大きく関わっているのだろうか、と考え、取材を掘り進める。「我々はどこから来たのか 我々は何物か 我々はどこへ行くのか」というあまりに有名なゴーギャンの作品を思い出してしまう。

その人の生きてきた人生に思いを馳せ、その生き様を深く省察することで、実は「アフリカの今」を浮かび上がらせている。「その国の“今”を伝えるものではない」と私は少し前に書いたが、ちょっと言葉足らずだった。事件・事故の第一報や続報とは異なった「本当のアフリカの今」である。よくある特派員の通り一遍の「その国の事情本」ではない。
それは、我々が抱いていたアフリカやアフリカ人に対するステレオタイプの見方をも変えるものだった。「アフリカには少数の支配層と多数の搾取される層がいる。支配層は悪であり、搾取される層は善人である」といった漠然とした思いを正してくれる。金鉱山で働いていた老鉱夫は、アパルトヘイトの下で絞り取られたなどとは思っていない。金鉱山で働き本当に充実した素晴らしい日々を過ごしたと思っているのだ。
そうだ、明日の朝刊に載せる必要がない、コロナ禍時代の今流に言えば「不要不急の原稿」が実はアフリカの抱える諸問題を雄弁に語っていたのだった。
毎日新聞OBの布施広さんは、書評でこう書いている。本の帯にある『ジャーナリストの目と心が捉えた、豁然と生きるアフリカの人々』といううたい文句は、まさにこの本にぴったりだ。…中略…「悲惨な風景の中でさえ、目を凝らせば、人の幸福を考えさせる瞬間がある」と本書の一節が示すように、藤原君の筆はなにげない風景から人の生をあぶり出す。
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『絵はがきにされた少年』は2005年に集英社から出版され、昨年10月、「新版」が発売された。15年の歳月を経ての新版だが、決して新しさを失っていない。特に「差別」という視点で見た時、当時のアフリカの今は、2021年のアフリカの今でもある。いや、アフリカだけでなく、世界の今を考えさせてくれるだろう。
トランプによるアメリカの分断、Black Lives Matter、人種差別や性的マイノリティの差別、宗教的差別や氏素性による差別、貧富に対する差別……。そして、コロナの蔓延は、社会に新たな差別を生み出している。社会が変遷する度に、社会が新しくなる度に、新しい差別が次々に生まれてくるのだ。そんなご時世だからこそ、皆さんに読んでいただきたいと思うのである。
我々人間は 誰しも知らず知らずのうちに 心の奥深くに『差別』を内包しているのだろう。人は差別についての体験が多ければ多いほど、他人に優しくなれるのだろうか? 援助とは? 寄付行為とは? 援助する側と援助される側にも差別と被差別の問題が絡んでくるのではないだろうか。読んでいてそんな様々な思いが頭を巡る。
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少し藤原君のことを褒めすぎただろうか。同じ大学の山岳部の先輩後輩で身内意識から褒めたのだろうか。いやいや、そんなことは決してない。「藤原にゴマをすっても何のプラスにもならない」のだ。そう、いいものはいいのである。
藤原君は、つい最近『ぶらっとヒマラヤ』(毎日新聞出版)を出版した。こちらもおもしろい。ぜひ一読を。
(浜名 純)
※浜名さんは1975年、毎日新聞入社。北海道支社報道部から、東京本社地方部内政取材班、静岡支局、御殿場通信部、長岡支局、東京本社編集局整理本部、中部本社編集局整理部に勤務し、1987年退社。