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2020年12月16日

演劇記者の思い出 ― いまも演劇の現場に、と水落 潔さん

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 私は1961年の入社です。演劇記者になりたくて受験したのです。面接の時、「何を勉強したのかね」と聞かれ「上方和事の研究です」と答えたところ、「新聞社に入って役に立つと思うかね」。 「役に立たないと思います」と言ったことを覚えています。とても無理だと諦めていたところ、思いがけず採用の報せを貰いました。生涯で一番嬉しかったことでした。後に、この年は変な奴を取ろうという方針だったと聞きました。

 前橋支局で二年勤務した後、学芸部に配属されましたが、当初は家庭欄、二年後に音楽担当になりました。当時、歌謡曲界が一挙に若返って橋幸夫、舟木一夫、都はるみら十代歌手が人気を集め始めたので、担当者も若い者が良いだろうというのが理由でした。これも二年、最後はビートルズの来日でした。小生意気な四人組でした。この後、毎日グラフに移りました。風俗、事件、人物など時の話題を写真と文で紹介する写真週刊誌で、三島由紀夫、小松左京、浅利慶太、桂米朝、永六輔、中村歌右衛門ら様々なジャンルの「時の人」を取材しました。三島さんの取材は死の前年でしたが「歳を取るというのは真っ逆さまの転落だね」と言っていたのと「三島は好きなことばかやっていると思うだろうが、そうでないことは僕が死ねば分かるよ」との言葉が印象に残っています。グラフの最後の仕事は、大阪万博の別冊特集号で、会場案内を含むカタログ雑誌にしたので飛ぶように売れました。

 再び学芸部勤務となりテレビと演劇を兼務しました。昼間NHKの放送記者クラブに詰め、夜は舞台を見るという生活です。入社して十年目にやっと志望の仕事に辿りついたわけです。演劇担当は二人で、先輩が新劇を持ち、私は古典演劇と演芸、商業演劇は二人で分担することになりました。新劇は老舗の劇団に陰りが出て、アングラと呼ばれた小劇場が台頭した時代でした。蜷川幸雄、井上ひさしなど平成の演劇界を代表する人材が出てきました。アングラ演劇は安保闘争の挫折から生まれたもので、既成価値を一切認めないという新左翼の政治運動の側面を持っていました。商業演劇は映画スターが主演する女優劇が全盛で、家電メーカーをはじめとする企業や商店街が招待する中高年の女性が客席を占めていました。歌舞伎は戦後歌舞伎を支えてきた名優が円熟期を迎えていましたが、興行的には苦しい時代でした。歌舞伎座を例にとっても三波春夫、大川橋蔵、中村錦之助らの公演が人気を集めていたのです。藤山寛美の松竹新喜劇の人気が沸騰していました。

 私自身のことで言うと、歌舞伎俳優に名前を覚えて貰うのが一苦労でした。子供のころから歌舞伎や文楽は見てきましたが、仕事となると別です。あらゆる俳優と適当な距離を取ることと、下調べを充分にしたうえで取材をする。それが一番大切だと教わりました。学芸部員は交代で連載小説を担当する仕事があります。私は源氏鶏太さんと瀬戸内寂聴さんの小説を担当し、デスク時代には白木東洋部長と共に藤沢周平さんに小説の依頼をしました。池波正太郎さんからも「次は毎日に」と約束を貰っていたのですが、亡くなられて果たせなかったのが残念です。瀬戸内さんは当時から売れっ子で、原稿がまま遅れがちになります。当時(昭和五十三年)はファクスという便利な器械が無かったので、夜遅く芝居を観終わった後に電話で原稿を受けるのです。これも修業の一つでした。源氏さんからは、「世の中に大人物がいると思ってはいけませんよ」と言われました。今も肝に銘じています。

 色々なことがありましたが、経済が右肩上がりの時代でしたから、楽しいことの方が多かったです。演劇記者でもう一つ大切なことは訃報です。素早くキャッチすることも大切ですが、その人の業績をしっかりと伝える記事が故人への何よりの追悼になるのです。不謹慎な話ですが、予定稿が不可欠です。

 昭和末から平成にかけて演劇界は大きく変貌しました。ミュージカルが大劇場演劇の柱になり、歌舞伎界では次世代の俳優が主流になりました。その先鞭をつけたのは劇団四季の「キャッツ」と三代目市川猿之助の「猿之助歌舞伎」、宝塚歌劇の「ベルサイユのばら」でした。それらの舞台を見た若者が演劇ファンになったのです。ミュージカルでは次々に人気作品が上演され、歌舞伎では猿之助に続いて十八代目中村勘三郎が出てきました。歌舞伎座は平成二年から年間すべてが歌舞伎公演になりました。私は平成八(1996)年に退社したのですが、二十五年間に亘って好きな演劇の仕事を続けられたことを感謝しています。お陰で今もってささやかながら演劇の仕事をしています。毎日新聞のお陰です。ある先輩から「お前は毎日の看板を利用して自分の商売をしてきただろう」と言われました。まさにその通りの人生でした。

(水落 潔)

水落 潔(みずおち・きよし)さんは1936年、大阪出身。早稲田大学文学部演劇科卒。1970年より学芸部で演劇を担当。編集委員、特別委員を経て96年退社。幼時から歌舞伎、文楽に親しみ、主として古典演劇、商業演劇を中心に評論活動。主な著書は芸術選奨新人賞受賞(91年)の『上方歌舞伎』をはじめ、『歌舞伎鑑賞辞典』『平成歌舞伎俳優論』『幸四郎の見果てぬ夢』『文楽』『演劇散歩』。日本演劇協会理事。2000年、桜美林大学文学部教授に就任、名誉教授。