元気で〜す

2020年9月24日

第二の人生 思いがけずボランティアに (その2)

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 前回、最後のところで、保育園の新しい園舎を確保し、経営が好転したと書いたが、NPO法人の規定に、当時は園舎のオーナーは経営に参加してはいけないという規約があったため、私は平成21年5月、新園舎オープンの時点で、理事長を退任していた。それから4年ほど後、NPOの規約が変わったので、もう一度理事に復帰してほしいと言われ、ヒラの理事ならということで、

また保育園の経営に参加した。

認可園と小規模事業保育園の2園を開園決意

 その頃、全国的に待機児童が問題になり始め、横浜市の林市長は「横浜には待機児童はいない」と豪語していたが、人数の算出方法がいい加減だったようで、算入されなかった待機児童がたくさんいることがわかり、平成25年ごろから横浜市として保育園を開設する際には、その費用の4分の3を市から補助するので、27年から29年までに、保育園を開園してほしいということが、市の待機児童が多い地域を重点地区として、法人に呼びかけられた。私どもの保育園は、その要請に応えるべきかどうか討議したが、いつまでも無認可で園の経営を続けることは、子どもたちのためと保育士をはじめとした従業員の待遇のためにも良くないということ、さらに手厚い助成があるうちに対応したほうがよいということで、認可園開設に応募することを決めた。

 そして多方面に協力を呼び掛けて保育園を建設するための土地探しを行ったところ、現在の園から10分余り、京急線井土ヶ谷駅から7分ほどのところに土地を持っていた大地主の方から、保育園なら園舎を建てて貸してもよいという申し出があった。そこは、60人か70人定員くらいの中規模園ならOK という広さの静かな住宅地で、すぐ前に子どもたちが遊ぶにちょうどよくて、運動会ができる程度の公園もあった。そこで直ちに認可園の申請書類を提出したところ、27年1月に許可され、4月から園舎の建築に着手した。一方これまでの無認可園は0歳から2歳の子どもたちが対象の園舎であり、人数も30人以上は無理な広さであるため、このまま経営を続けるか、廃園とするかを理事会で討議した。

 するとちょうどそのころ、国から小規模保育事業として、小さな保育園を認可するので、開園してほしいという呼びかけがあった。小規模保育事業の保育園というのは、定員が最大19人で、0歳から2歳までの子どもたちが対象である。認可保育園の場合、設置を義務づけられている多目的トイレなどは必要ないので、現在の園舎を増改築はせずともそのまま使える。したがって園舎はOK、しかもこれまで働いていた無資格の保育士も助成金は少なくなるが、継続雇用してかまわないとのことだったので、ここで小規模事業の認可を受けたほうが経営は安定すると判断し、開園の申請をすることにした。これは簡単に認められ、認可園(以下「永田園」と記述する)の開園と同時(平成28年4月)に小規模事業保育園(以下「共同園」と記述する)も開園の運びとなった。

新しい2園を開園へ

 NPO法人は永田園が平成27年1月に、共同園は同年2月に認可の申請を許可されたため、両園とも翌年4月の開園に向けて動き出した。同時に2園を開園するのは初めての経験であり、保育対象の子どもたちの定員も永田園66名、共同園18名で、合わせるとこれまでの3倍近い。保育士をはじめとした職員の数も3倍必要となった。しかし予想していたことではあるが、募集をかけても集まらず、苦労した。折しも保育士不足はピークに達していた。

 一方、永田園の園舎の建築が7月ごろから開始された。建物の建屋の部分は地主であるオーナーが受け持つことになっていたが、内装は保育園側であった。

 また建物を建築開始する前に、近隣の住民の方たちに保育園設立の趣旨を理解してもらうための会合を3回開催した。さらに建築工事を開始する直前には、10数軒のお宅を一軒一軒あいさつして回った。若干の苦情はあったが、最終的には納得してくれてほっとした。高齢のお年寄り世帯が多かったので、「子どもたちの元気な声を聞けるのは、ありがたい」というような声は数人から聞かれた。

再び理事長に就任

 その年の9月6日、当時の加藤理事長が突然スキルス性の胃がんで入院してしまった。病状はステージ4だった。新しい保育園の設立業務はドンドン進んでいたので、NPO法人は園長とともに休みなく活動していた。そのため空席となった理事長を立てなければならなかった。誰にするかということになったが、当時仕事を持っていなかったのは、私だけだったので、致し方なく私が理事長を代行することになった。

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 それから翌年4月の開園まで、人・物・金 に関し、いろいろな作業があった。特に2園同時に開園というのは、初めての経験で、いろいろ難しいことがあった。最も大変だったのは、職員の配置で、これまで1園にいた職員を2園に分ける際に、園内の人間関係での問題が一気に噴き出し、収めるのに苦労した。その上不足している要員補充でツテを頼ったり、ハローワークや人材派遣を通じて集めたが、OKの返事をもらっていたのに、翌日には反故にされたりして、いやな思いをさせられた。

 しかしなんとか平成28年4月には、規定の保育士をはじめとして他の職員も何とかそろい、無事開園することができた。そしてその年の6月のNPO法人の総会で、私は正式に理事長に就任した。前理事長の闘病生活は、その後1年続き、翌年5月に他界された。

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開園一年目の苦闘

 これまで先に認可を受けて開園している先輩保育園の経営者などから、「開園して1、2年は、大変苦しい思いをする」と聞かされていた。私は経済的に厳しいことになるのかと、バクゼンと思っていたが、私どもの園の場合、そうではなかった。実際、経済的には、認可園となり、無認可時代と比べて大幅に保育助成金が増えたため、以前ほど厳しい経営をしないで済んだ。大変だったのは職員の人間関係である。何しろあちらこちらから集まってきた保育士が予行練習なしにグループで初めて会う子どもたちを保育したのである。保育士は学んだ学校、その後働いてきた保育園でそれぞれの保育をしていたわけであるから、保育理論が異なり、統一するのがむずかしかった。それに人間の好き嫌いも加わるのであるから、大変だったわけ。保育室だけでなく、調理室でも栄養士と調理師のバトルがあったりして、1年目は落ち着いた運営ができなかった。これは両園の園長が保育士やその他の職員を上手に指導しながら、強い信頼関係を築くに至らなかったことによると思う。

 永田園の園長は、独善的に采配を振るったため、1年目の秋には、「来年の3月には、辞めます」という保育士が数人、私のところに訴えてくる状況になってしまった。これでは組織がもたないと、私は園長と話し合いを進めたが、精神的に彼女は参ってしまい、11月末には辞表を出してきた。あまりに職員の信頼を失ってしまった状況だったので、理事会も即了解して、次年度から主任保育士を園長に昇格させ、一段落した。しかしこの園長の交代に関しては、横浜市に「3年間は園長を交代させない」ことを約束させられていたので、私は横浜市から厳しく注意され、詳しい報告書を提出させられた。

 次に大変だったのは、新しい組織を動かしていくための規約の作成だった。無認可園の場合は、横浜市の助成金が多くなかったので、市の監査はそれほど厳しくなかったが、認可園となってからは、助成金が多いだけにいろいろな面で監査は厳しくなった。就業規則とか賃金規程程度の規約集だけではすまず、経理規程や物品管理規定などその他諸々の規程集を要求され、また必要であることも納得させられた。しかし新しい組織には当然あるべきものが備わっておらず、一つ一つ作成していかなければならない。実際ボランティアで成り立っている法人としては、これ等の規程類の作成にあたる要員確保が困難で、大体そのようなものを作成した経験のある人がいない有様だった。

 NPO法人の保育園運営は、儲ける必要はなく、利益はもっぱら子どもたちの保育と従業員の処遇改善のために使っていき、お金をため込んではいけないことになっている。NPO法人の役員は全員ボランティアで、理事長,副理事長には、自分の時間を使うので、通信費・交通費程度の若干の手当てが出るだけである。

 開園から2年3年は大した問題はなく推移した。しかし2園を運営していることの難しさは痛感させられた。両園とも待遇は全く同じにして、スムーズに人事異動や人のやりくりを容易にできるようにしたつもりであったが、2園が全く同一の園ではないので、比較をして不満が出やすく、職員の組み合わせでは、人間関係が難しかった。その上保育士不足は恒常的に続いており、待遇は勤続7年以上になると、プラス4万円アップする制度が横浜市として実施されたが、それでも世間の給与水準に比べると低いため、保育士は高姿勢で少し不満があると退職をチラつかせる始末だった。

横領事件発生

 開園4年目を迎えた6月の初めに一つの事件が発覚した。税理士の報告によると、永田園の預金から3百万円が百万円ずつ3回に分けて勝手に引き出されていたというのだ。会計担当者に聞くと、理事長から給与の支払いが足りなくなるといけないので、引き出すように言われたという。しかしそんなことを私は言わないし、これまでそんな指示を出したこともない。すると2日ほどしてその金は預金口座に振り込まれていることが分かった。これはおかしいということで、横浜市の監査課に連絡したところ、そういえばこれまで監査の際に、領収書などに不審な点が若干見受けられたということで、私ども法人の役員は、市の監査課とは別に徹底的な調査を開始した。すると次々とおかしな処理が見つかってきたため、6月7月と2か月間、休み返上で調べ続けた。その結果、犯人は永田園の会計担当者であることが明確になった。その段階で彼を呼び出し、聞き出したところ、素直に犯行を認めた。しかし当初、どの程度の被害額かわからなかったが、調べを続けるうちに、彼が開園と同時に採用されてから、数か月後には早くもごまかし、着服を行っていることが分かった。以後3年間、税理士に内容チェックを任せ、私ども役員が経費の処理を見なかったことで、起きてしまった犯罪だった。各種の伝票、領収書、元帳などあらゆる帳票類を調査して横領額がまとまると、会計担当者を何度も呼び出して聞き取り調査を行ったが、結局彼はすべてを認めた。横領額は約740万円。ただ全額は返金できないという。そこで奥さんも呼び出して話をし、返済を促した。

 実はこの夫婦は、当時二人とも57歳だったが、奥さんは若い時からずっとシステムエンジニアとして働いていて、子どもを私たちの保育園に預けていた。そのお子さんはすでに社会人で、彼女自身は10年以上、私たちNPO法人の理事として頑張ってくれた人なのである。そして新しく永田園が開園するときに「会計担当に夫を採用してほしい」と頼んできたのだ。当時は開園に向けて大勢の人を新規採用しなければならなかった。彼女自身多忙な中、大変まじめに理事として勤めてきてくれたし、ご主人は病気回復後失業していたので、私たちとしても彼女を助けることになればと思って採用した次第。したがって彼の人間性を全く疑っていなかったというのが、正直なところである。いま考えてみると、せめて経理のチェックシステムを作っていて、規則としてとにかく機械的にでもチェックしていたら、こんな事件は起きなかったと反省している。私をはじめとして園長や他の理事たちも経理に疎かったのが、最大の要因であったと思う。

 そして横領されたお金は、結局、奥さんがもうすぐ定年なので、退職金を前借することで、返済された。幸い今回は、全額戻ったが、もし戻らなかった場合は、たとえ役員がボランティアであっても、責任を取って返済しなければならない。なぜならばこの横領されたお金は、市民の税金を横浜市が子どもたちのために、保育園へ助成金として支給したものであるから、返済はあくまでも子どもたちになされなければならないのだ。

 この事件については、弁護士と税理士による第三者委員会を作ってすべて調査し、報告書も出してもらった。さらに園児たちの保護者には2回にわたって集まってもらい、説明し、謝罪した。そしてメディアにも報告書を配布したため、神奈川新聞とテレビ神奈川が報道した。しかし、その後、保護者や近隣からこの件について批判や、責任追及の声は聞かれなかった。 元会計担当は、懲戒解雇で一件落着というところだが、ケジメとして現在は地域の警察署に刑事告訴を行っている。

 振り返ってみれば、諸々の事情はあったにせよ、最大の責任は、理事長であった私にあると思う。もし私に経理の経験があって、他人を信じやすい性格でなかったならば、この事件は起きなかったのではないか。しかしそれにしても、そういうことを防ぐために、きちんとしたチェックシステムを導入すべきであったと深く反省している。

常勤理事長誕生へ

 一年後、やはりNPO法人の役員全員がボランティアで、片手間で二つの保育園を運営している形は、組織としてお粗末すぎると考え、何とか理事長だけでも常勤で働けるような方法はとれないものかと、横浜市に相談してみた。するとNPO法人としては、直接給与を払って職員を雇用することはできないという。しかしその人を保育園の職員として雇用し、保育園の仕事をしながら、NPO法人の役員となることは、構わないという回答を得た。そこで今年の総会において、もうすぐ80歳の私が理事長を退任し、最も若い男性の理事が現在の仕事を退職して、保育園の職員となり、なおかつNPO法人の理事長に就任してもらうということになった。ちょうど働き盛りで力量・意欲ともに兼ね備えた人材と巡り会えたことが大きく幸いした。これで長年考えてきたフルタイムの理事長を誕生させることができた。手前味噌ではあるが、小さな一歩として、NPO法人の組織強化が少し前進したと思う。   

                               

2020.9.15 完