2020年7月15日
鎌倉で混声合唱団活動8年


大船混声合唱団に入会して、8年になる。
前回の昨年11月のコンサートでは、ケルビーニの「レクイエム」を演奏した。
次は、シューマンの「レクイエム」や小林秀雄の「落葉松」を予定しているのだが、一向に練習が進まない。
新型コロナ禍の影響で、3月当初から5か月、練習は行われていないのだ。
最近朝4時ごろ、トタン屋根の上で2羽のカラスが騒いでいると、鳴き声が4度の和音に聞こえるほど、合唱に飢えていることに気が付く。
9年前に鎌倉通信部を辞め、毎日が日曜日になって何かしないと、と考え、高校大学時代にやっていた混声合唱に復帰することにした。
社を辞めてから静岡県伊東市に半分住み着いていたので、伊東で合唱団を探した。2つの合唱団が身近にあったのだが、どちらも女声30人に男声数人。どうも入団しようとする気になれなかった。
連れ合いに相談したら、「私が高校時代に教わった音楽の先生が、合唱団の指揮をしているので、そこに入ったらどうか」と紹介された。その方は児島百代さんで、鎌倉での飲み仲間でもあり、すぐに自分で電話、入団となった。児島さんは当時、鎌倉合唱連盟の理事長だった。「いま、モーツアルトのレクイエムを始めたところだから、一緒にやりましょう」と激励された。
1年半に1回のコンサート、ミサ曲や世界の歌曲、日本の歌曲などを演奏し続けてきた。しかし今回、コロナの影響で「合唱は3密の最たるもの」と練習に利用している鎌倉市の行政センターの使用許可が未だ下りない。来月になったら下りるというものでもなさそうだ。
いくつあるか知らないが、多分、日本中の合唱団は、練習を手控えているのだと思う。
70代半ばともなると、しばらく声を出していないと腹筋がだらしなくなって、声が出なくなる。
コロナ禍がどのような形で収束するのか、あるいはこのまま続くのか、なんとも見通しのつかないことだが、合唱団の存続どころか、来年のオリンピック・パラリンピックの動向や、国の存続、世界の行く末など、なんとも見通しの悪い時代になったものだと思う。

(元鎌倉通信部 吉野 正浩)