元気で〜す

2020年7月9日

能楽、短歌、俳句……年金生活のお楽しみ

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毎日観世会のおさらい会=箱根強羅の寮で1977年11月

 定年になって一番嬉しかったのは、何と言っても朝御飯をゆっくりと食べられることであった。現役の頃は、朝起きるのが苦手で、高田馬場のアパートでの職住近接の生活でやっと凌いでいた。今は遅くとも5時には新聞を読み、約1時間の散策で新鮮な朝の空気を味わい、年を重ねるのも悪くないと思う日々である。

 1990年に55歳で毎日を卒業し、山崎れいみさんの紹介で人形町・今半に1年、その後、当時社長だった牧内節男さんのお誘いでスポニチに4年間在籍し、人とのご縁の有難さを実感した。60歳で生まれ育った埼玉の秩父盆地に戻り、遅まきながら親孝行もすることが出来たが、その母も亡くなり早くも12年になる。

 母は学ぶことが好きで、67歳の時に父が亡くなってからはお茶やお花に加えて、新しく俳画、俳句、謡曲、折り紙なども楽しんだ。毎月上京して能楽堂に通っていた母の影響で、私が謡曲の稽古を始めたのは40歳を過ぎてからになる。

 当時、社内には「毎日観世会」があり、経理から後に毎栄実業に移った相澤義治さんが熱心に幹事を務めておられた。初心者に対しても「鶴亀」から特別に指導するなど、有難い存在だった。稽古は地下のクラブ室でプロの先生を招いて月2回、6時半から行われていたと記憶する。仕事が終わらず途中で抜け出して参加することも多かったが、お稽古が終わると、相澤さんを中心に「いろは」で喉を潤すのが常だった。

 指導の先生も年を召されて交代し、最後は現在能楽師として活躍中の小早川修さんが見えていたが、当時はまだ東京藝大の学生だった。そしていまや泰輝、康充お2人のご子息も藝大を卒業し、若手の能楽師として舞台に立たれており、拝見するたびに大変、感慨深い。

 毎日観世会では、年に一、二度、箱根強羅の寮などへ泊り、おさらい会をしていたが、何を謡ったかなどは思い出せず、余興で小早川先生が能面の百面相をなさり、皆、驚くやら大笑いするやらの場面もあった。

 現在受け継がれている二百曲余の謡曲は、『源氏物語』『平家物語』等の古典や、伝説、民話などから着想を得ているが、能楽を父の観阿弥とともに完成させた世阿弥は、多くの古歌や唐詩を織り込み、日本語の持つ同音異義の特徴を生かしたレトリックを用いて、室町時代の文化を今に伝えている。

 『万葉集』をはじめとする歌集からの引用も多く、謡曲の稽古を通じて自然に古典に接する機会が増え、読書の幅も広がったと思う。10年前からは秩父の図書館で短歌や俳句、加えて万葉集講座を受講し、句誌「春燈」、歌誌「歌と観照」などに作品を発表する機会もいただいている。謡曲の稽古も続いていて、2017年に落成したGINZA SIXの観世能楽堂など都内にも足を運んでいる。

 勉強嫌いだった私が、母親に似てきたと言われている今日此の頃である。

宮前 和子(元渉外部、国際広告部)

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1997年の毎日観世会素謡会。宮前さんは2列目右から3人目。
左後ろが相澤義治さん
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2013年の大会。宮前さんは前列中央