元気で〜す

2020年5月25日

カミユの「ペスト」も「異邦人」も読みました

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大島幸夫さん

 「どうしてる、元気?」

 長野支局・社会部の先輩、大島幸夫さん(82歳)からご機嫌伺いの電話があった。

 「ボストンマラソンが中止になって、読書三昧だよ。カミユの『ペスト』、『異邦人』も読んだよ」

 ——高尾義彦さん(74歳)は、『ペスト』の原書を丸善に注文した、とブログに書いていましたよ。

 「オレがフランス語の授業で読んだのは『星の王子さま』、サンテグジュペリの。早稲田と慶応の仏文に合格したが、ウチの商売の関係で商学部に入ったんだ。仏文に進んだら違う人生があったと思う」

 大島さんは、傘寿を迎え3度目の「ボストンマラソン完走」を目指した。

 ボストンマラソンは、「ザ・マラソン」と呼ばれる。1897(明治30)年に第1回が行われた世界で一番歴史があり、伝統を誇る大会だ。

 ところが1昨年は、冬の寒さに見舞われ、低体温症から全身に震えがきて途中リタイア。昨年は飛行機の長旅でエコノミー症候群にかかり、「スタートラインに立つことができなかった」(『人生八聲』第19巻)。

 いくら元気な大島さんでも、ことしはラストチャンスと思っていた。42.195キロは「死に行くGo!」とまで読まれる。走り込み、筋トレ、マッサージと準備は万全だった。

 目標は、5時間以内。ちなみに完走した2回は、3時間4分台(48歳の1986年第90回)と3時間19分台(58歳の1996年第100回)だった。

 ところが、コロナという伏兵に4月20日の第124回ボストンマラソンは中止、9月14日に延期となってしまったのだ。

 5月28日主催者が9月14日に延期されていたレースを中止すると発表した。

 大会が中止されるのは1897(明治30)年に第1回を開いて以来初めてである。

 大島さんが走り始めたのは、42歳の時。毎日新聞社前の皇居周回コースである。

 中学・高校は体操部、大学では山岳部(シゴキで退部)に入ったスポーツマン。社内野球ではもっぱら投手をつとめた。

 マラソンを3時間で完走するサブスリーは一般ランナーの勲章でもあるが、大島さんは1987(昭和62)年のつくばマラソンで達成している。2時間59分21秒だった。

  情熱家で実行力のある大島さんは、世界の大都市で開かれているマラソン大会に出場した。マラソン文化の違いを痛感する。そして2001年に始めたのが「東京夢舞いマラソン」である。

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 「東京のど真ん中を誰でも走れる市民マラソン大会」

 2007年2月から始まった「東京マラソン」の源流だった。

 この記事は読売新聞の「顔」欄である。「東京マラソン」実現の功労者として取り上げている。

 もうひとつ。NYシティーマラソンなどで、障碍者が介護伴走のボランティアとともに走る姿を目撃した。1995年アキレストラッククラブ・ジャパンを設立、大島さん自身も、目の不自由なランナーと紐を結んで走るなど、活動を続けている。

 著書に『市民ランナーの輝き―ストリートパーティーに花を!』(岩波書店2006年刊)がある。

(堤  哲)