元気で〜す

2020年4月24日

早大探検部OB会・オーストラリア・タスマニア島クレイドル山山行記 ㊤

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キルギス・ウティーチェリ峰(4527メートル)で=2015年8月23日

 ≪序章 早大探検部OB会≫

  2020年2月13日(木)午前7時50分、早大探検部OB会一行9人はオーストラリア・タスマニア島にあるクレイドル山(標高1545メートル)の登り口、ダブ湖駐車場にチャーターバスで到着した。天候は曇り。目指す山は霧に覆われて、全く見えない。真夏ではあるが、気温は10度を下回り、寒さを感じる。私は折り畳み式のストックを伸ばし、ひざ下にはスパッツを付ける。日除けのサングラスはまだ取り出すまでは至らない。昨年3月に白内障の手術をして以来、学生時代から手放せなかった近眼・乱視の眼鏡がいらなくなり、顔周りはすっきりしている。それにしても、この山周辺は10日に一度晴れたらラッキー、というほどに天候は恵まれない、という。事実、一行の中の夫婦連れは昨年も同様時期にこの山を登ろうとして1週間滞在したが、ずっと雨続きで山に近づくことが出来なかったという。朝方の天気予報では「晴れ」だった。が、「どうなる事やら」と私は独りごちた。

 早大探検部OB会は以下のような概要である。

 〖早大探検部OB会は1966年発足。会員300余人(アクティヴィな会員は50~60人か)。2か月に一回の定例会、海外遠征、現役の活動支援などを行っている。著名人では直木賞作家の西木正明(79)、同様に直木賞作家の船戸与一(2015年死去、享年71)、北朝鮮評論家の惠谷治(18年死去、享年69歳)、ノンフィクション作家(13年講談社ノンフィクション賞受賞)の高野秀明(53)、探検家・ノンフィクション作家(10年開高健ノンフィクション賞、11年大宅壮一ノンフィクション賞、12年新田次郎賞、13年講談社ノンフィクション賞、15年毎日出版文化賞、18年大佛次郎賞、それぞれ受賞)角幡唯介(44)らがいる。

 奥島孝康・元早大総長(80)が1986~94年まで、探検部部長を務めた縁でOB会名誉顧問となっている。奥島先生が総長職を降りた後の03年に「OB会主催慰労会」として、山梨県の黒川鶏冠山(1716メートル)登山を行い、以来、彼を囲むような形で年一回の登山や海外遠征が始まった。

 海外遠征の初回は05年台湾・玉山(3952メートル)。次いでマレーシア・キナバル山(4095メートル)(06年)、モンゴル・エルデネ山(2035メートル)(09年)、ロシア・カムチャッカ・アバチャ山(2741メートル)(10年)、ブータン(11年)、台湾・雪山(3886メートル)(12年)、ベトナム・ファンシーパン山(3143メートル)(13年)、石鎚山(1982メートル)(同)、インドネシア・ロンボク島リンジャニ山(3726メートル)とバリ島・バトゥール山(1717メートル)(14年)、キルギス・ウティーチェリ峰(4527メートル)(15年)、インドヒマラヤの4~5千メートル級の山のトレッキング(17年)等続いた。また、この間にも有志による山行も数多くあった。

 奥島先生には初回から海外の高峰を含めお付き合いいただいた。14年のバリ島バトゥール山(1717メートル)登山では、その準備として白馬縦走するなど訓練も怠りなく続けておられた。1昨年一時体調を崩され、ここ3年は登山はしていないとのことで、今回のタスマニア行では山楽会=先生を囲む早大職員の登山会=のメンバーとともに、ホテル周りに設置されている散策路を歩く程度にとどめていた。OB会にとっては変わらぬ精神的主柱である。〗

 ≪1章 タスマニア島行≫

 今回の「オーストラリア・タスマニア島行」一行は総勢16人、探検部OB12人と山楽会4人の合同隊である。公式日程は2月8日~16日の9日間で、現地集合・現地解散で、公式日程の後・先はそれぞれ自由に各地を回る。

 海外遠征の行先の選定は、行きたい山や海外について、言い出しっぺが自動的に幹事になり、同好の士を募る。ある程度、人数が集まると、幹事が日程を組む。OB会の存在意義は「物事に対する強い好奇心と辺境に対する強い憧れという価値観の似通った仲間たちが、年代を超えて折りにふれて集う心のふるさと」(「OB会会報2010年臨時号」、元OB会長・矢作和重さん=12期=の言)にある。

 今回の幹事は10年前から、タスマニア行を推していた12期(1966年入学組)の望月哲郎さん(73)。野生の動物が自由に観察できることから、タスマニアに興味を持ち、当時、新聞記事で見かけた現地の日系旅行社経営者の紹介記事を大事に保存。今回は昨年夏ごろOB会の大方の了解を得て、作業を始めた。新聞記事にあった旅行社(AJPR=オーストラリア・ジャパン・パブリック・リレーションズ=代表・石川博規氏)に連絡を取り、代表者は当時と変わってはいたものの、サポートを受けることが決まった。もっぱらラインで連絡を取り、日程を構築していった。この人、国内では「(絶滅した)ニホンオオカミはまだ存在するはず」の一念で、「ニホンオオカミ倶楽部」を組織、丹沢山塊に24時間ビデオを設置しその姿を捉えようとしている、探検部の“心”を忘れない人でもある)

 計画の概略が出来上がったところで奥島先生の世話をする山楽会とも打ち合わせ。登山・トレッキングを主体とするグループと観光主体のグループと二つに分け、夕食と移動の足は合同で行う案を作り上げた。

 OB会海外登山の初期は1960年前後入学の7~10期の先輩が多かったが、次第に我々団塊の世代の12~13期が中心に。今回も最高齢80歳の奥島先生を別にすると、71~75歳が中心。クレイドル登山を目指した9人は75歳~56歳で平均年齢70歳ほどだった。

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クレイドル山全景

 16人は2月8日午後3時、タスマニア島の州都ホバートのホテル・グランドチャンセラーのロビー集合~15日午前10時、北部の都市、ロンセストンのホテル・グランドチャンセラーロンセストンのロビーで解散、の日程となった。

 タスマニア島とは、どんなところか。各種の本で得た知識によれば、以下のようだ。

 〖タスマニア島はオーストラリア本土の南東部から240㎞離れた南氷洋に浮かぶ島。地図で見ればオーストラリアの右下にあり、北海道より一回り小さく、8割ほどの面積。日本からはシドニーやメルボルン経由で国内便に乗り換え、2時間ほどで州都ホバートに着く。このホバートは島の南端部で、緯度で見れば、北海道北端の稚内からサハリン付近に近く、夏でも最高気温は21~22度である。

 1642年にオランダの探検家、アベル・タスマンが、この島に到達し、島の名前は彼に由来している。しかし、当時彼らが目当てとしていた香辛料や黄金が見つからなかったため、入植しなかった。植民が始まったのは1803年で、すでに本土のシドニーなどに入っていたイギリス人の手によるものだった。開発にはイギリス本土から大型船で3か月もかけて流刑囚が大量に送り込まれた。このため現在、島の世界遺産となっているのは、ポートアーサーなど刑務所跡地が多い。島の原住民、タスマニア・アボリジニは1830年代までは植民者に抵抗、ブラック・ウォーと呼ばれる戦争を起こしたが、近代兵器で武装するイギリス軍には到底勝てるわけはなかった。他の小さな島へ強制移住させられたり、ハンティングの獲物にされたり(南米大陸でのスペインのインディオ狩り、北米大陸でのインディアン狩り,等々、えげつないことである)して激減した。純血人は1876年に絶滅。今に残っているのは白人との混血した人たちである。本土のアボリジニと同じような経過を辿った。

 島内は開発の手が及ばなかった地域が多く、全島の36%が国立公園や自然保護区になっている。その多くは世界自然遺産・タスマニア原生地域。2万年前に本土と同様にゴンドワナ大陸と分離し、その後、ほかの大陸と一緒になることはなく、冷温帯雨林の特異な自然が残る島として知られる。野生生物もワラビー(カンガルーの中で体重25㎏以下のものの総称)、ハリモグラ、フェアリーペンギン、ウォンバット、タスマニアデビルなどが生息、各所で見られる。我が国で人気のコアラは、野生種は本土のみで、この島には動物園にしかいない。登山基地のクレイドルマウンテンホテルでは、窓外の庭には手の届く位置までワラビーが寄ってきて餌の牧草をついばんでいた〗

 ≪2章 クレイドル山登頂計画≫

 クレイドル登山のリーダーは元OB会長の12期・矢作さん(72)。某林業会社で、長年東南アジアで木材を調達、役員に上り詰めて退職。今は外国語学校で日本語教授のボランティアを務める一方、練馬区のシルバー人材センターで植木の剪定作業をしたりしている。大学時代は幹事長、OB会でも会長を6年務めた我々世代のリーダー。辺境大好き人間で、山の経験はヒマラヤから日本まで広範囲に及ぶ。豊富な海外経験で英語も達者。OB会メンバーは学生時代から「ともかく世界の行きたいところへ行き、理屈は後からくっつける」猪突猛進型が多い中、珍しい?インテリの一人。海外遠征の際、現地の交渉事など英語が必要なものは一手に担う。

 クレイドル山周辺はガイドブックによれば「数あるタスマニアの国立公園の中でも随一の景勝を誇るクレイドル山/セントクレア湖国立公園。世界自然遺産のタスマニア原生林の中核を占める国立公園で、クレイドル山(1545メートル)をはじめ、タスマニア最高峰のオサ山(1617メートル)を中心に1500メートル以上の山が並ぶ」と紹介されている。

 クレイドル山は氷河が削り出した1500メートルの峰々が屏風のように並んで天に突き出した岩山群だ。ふもとのホテルからバスで20分ほど行った登り口から、頂上まで往復7~8時間の日帰りコース。インド・ヒマラヤ、モンゴル、キルギス等の山々をこなしてきたメンバーにとっては、朝飯前の山行なはずだった。

 ところが、前述の旅行社AJPRの石川代表(現地で話して分かったことだが、名古屋の名城大山岳部出身)によれば「コースガイドは頑健なオーストラリア人向けで、日本人の足なら往復10時間は見た方が良いでは」とアドバイス。これに従って、登頂計画は以下のようになった。

【タスマニア・クレイドル山登頂計画】

1. 日程2月13日
2. メンバーはリーダー・矢作以下9人
3. ルート及び行動計画
7:30 クレイドルマウンテンホテルをチャーターバスで出発
7:50 ダブ湖駐車場・登り口
8:00 登山開始
リラ湖を経て ウォンバット・プール登山路を登り、ウォンバット沼からオーバーランド登山路へ行き、
10:00 マリオンズ展望台着
10:30 発
11:30 キッチン・ハット避難小屋着。昼食
12:00 発
14:00 クレイドル山・頂上着
下山開始。往路を引き返し、余裕があればオーバーランド登山路を経て、ロニークリーク駐車場に出る。
18:00 駐車場着
4. 特記事項
①当日日の出 7:04 日没19:34
②天候不順の場合は、展望なきため登山中止。麓のハイキングに変更。
③途中、マリオンズ展望台、或いはキッチンハットにて、各自の体調を判断し、二隊に分け、一隊は登頂せず引き返す(携帯電話は2台携行し各隊が持参)
④往路、マリオンズ展望台までは状況により、マリオンズ展望台登山路を使う(急登だが、30分間時間短縮できる)
⑤遅くとも18時には駐車場に戻る。
5. 装備
団体装備:ツエルト(ビバークテント)2~3
個装:秋山登山の服装。防寒着(フリース或いはダウン)、雨具、スパッツ、帽子、手袋、サングラス、スティック、懐中電灯、水筒、昼食(ホテルで用意)、非常食。

(元社会部 清水 光雄)