2020年4月2日
90歳代の過ごし方を思う

センテリアンへ、「生涯ジャーナリスト」牧内節男さんの研鑽の日々――。
以下は「銀座一丁目新聞」2020年4月1日付「茶説」である。
牧念人 悠々90歳代の過ごし方を思う
今年誕生日が来て95歳になる(8月)。5年前に同期生たちと「五輪の会」を作って東京オリンッピクまで頑張ろうと年に2回大船の駅前の中華料理店で会合を重ねてきた。その間、あの世に往く人も少なからずあっていつも30人近く集まっていたのが最近では23名か24名ぐらいになってしまった。その東京オリンッピクが1年延期された。今年の「五輪の会」は開かれていない。この会ではいつも“知的刺激”を受けた。いつも励まされた。その都度「銀座一丁目新聞」でその会の模様を報告した。書く喜びもあった。
昨今はどうも動作が鈍い。動作は心の表現である。万事に悠長である。読みたい本があるのだが書店へ足が向かない。文章も思うように書けない。それでいて不思議に女性への関心が衰えない。最近はとみに花への関心が深くなったのにと思うのだが…。3月半ば、なくなった同期生の奥さんの電話の声を聞いて「少し落ち込んでいる」と感じたので早速俳句の本を2冊持参して訪問、「俳句を作ったり、自分の俳句をまとめたりしたらどうですか」と勧めた。また、20年ほどご無沙汰沙汰している女性(イベント企画経営)から「会いたい」とメールをしてきたので共通の知り合いの毎日新聞社会部時代の友人を誘って近日中に会うことにした。更に50年間も開いてきた会が今年解散した。この会は毎年4月はじめ靖国神社を参拝したあと懇談するのを常とした。私はこの会の発起人の後輩でこの人の本を出版したことで知己を得た。学ぶことが多く私の後半の人生を変えた。いつもこの会の司会をしていた女性を誘った。今年は二人だけで先輩を偲ぶ。
田中英道著「老年こそ創造の時代」―人生百年の新しい指針―(勉誠出版)に「老人論」として万葉集巻5-804に山上憶良の長歌が紹介されている。「この世の中で、なす術がないのは、年月が流れるように過ぎ去ることである。年月が過ぎ去るという事実は取り付いてはなれず、あらゆるものに追いかけてくる。例えば若い娘が、娘らしく振舞わって、舶来の玉を手首に巻き、同輩の若者たちと手に手を取って遊んでいる。しかし、若さの盛りは留めようにも留めることはできない。時が過ぎ去ってしまえば、黒々としていた髪には、いつの間にか霜が降りている。赤々としていた顔の上には、どこからか皺がやってくる。勇ましい若者が、男らしく振る舞って、剣太刀を腰につけ、弓を手に握り持って、馬に色鮮やかな布の鞍を置き、馬に這い上がって遊び歩く、そんな世の中がいつもそのままに続くだろうか。娘たちの寝所の板戸を押し開き、たどりよって、玉のような美しい手を絡めあって寝た夜などはいくらもなかった。なのに、いつの間にか手に手束杖を持ち、腰のあたりに頼って歩くようになってしまった。あちらにゆけば人に嫌われ、そちらにゆけば人に憎まれる。老人とはこういうものだ。命は惜しいがどうしようもない」(口語訳)
著者は憶良の考え方は仏教の「四苦八苦」から来ているとして解釈。「老年こそ創造の時代」と強調する。83歳で「蘭学事始」を表した杉田玄白は85歳まで生きた。「富嶽百景」を描いた葛飾北斎は90歳まで長生きしたとその生き方を紹介する。玄白、北斎の域は無理でも「生涯ジャーナリスト」を自認する私は多少でも文章で世の中に貢献したい。日々の生活に多少のゆとりと彩りをそえながらいいものを書くために日々の研鑽を怠らない所存である。
(牧内 節男)