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2020年2月22日

「週刊将棋」創刊の柳沼正秀さんが立花隆編著「自分史の書き方」に登場

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 英文毎日や静岡支局に勤務した柳沼正秀さん(72)から「自分史の書き方」=写真=という講談社学術文庫が送られてきた。ページをめくってみると、立教大学で2008年に始まったシニア向け「セカンドステージ大学」で作家、立花隆さんが講師を務めた「現代史の中の自分史」というゼミの記録で、柳沼さんの自分史が年表も含め40数ページにわたって紹介されている。この本は2013年に単行本として発行され、今年になって文庫本として再発行された機会にお送りすると私信が添えられていた。

 その自分史にも記されているが、柳沼さんは早稲田大学在学中、大学生に「英文毎日」の購読を勧誘するアルバイトに携わった。当時、毎日新聞ではこうした学生を「学生会」として組織し、入試・入学シーズンの3、4月に集中的に勧誘作戦を展開した。私も数年先輩として「学生会」に所属していた縁で、友人になった。いまは「紙」の英文毎日は存在しないが、当時は朝日、読売の英字紙と競争し学生の囲い込みを図って熾烈な競争を展開していた。

 自分史によると、彼は学生時代に30種以上のアルバイトを体験する、と目標を立て、毎日新聞が1971年に開催した「ゴヤ展」で「裸のマハ」の額絵などを販売するアルバイトにも駆り出された。その仕事ぶり、才覚を当時の英文毎日営業部長、江口末人氏(後に局長)に認められ、入社試験もクリアして毎日新聞に入社する。最初に配属された英文毎日局で創刊されたばかりの「毎日ウイークリー」の販売拡張などに携わり、ロンドン留学、静岡支局勤務を経験した。この後、やはり江口氏の誘いで毎日コミュニケーションズ(現マイナビ)に転身、「週刊将棋」の創刊やコンピュータ関連出版物の企画・編集に業績を上げた。

 毎コミ当時の取材を通じてファイナンシャル・プランナーの存在を知り、資格を取得して50歳で独立、現在に至る。定年を迎える社員にリタイア後のファイナンシャル・プランを講義していた姿を記憶している人もいるのではないか。柳沼さんは、アルバイト職種の目標だけでなく、「5年ごとに仕事を変える」「海外で生活する」などいろんな目標を立てて波乱の人生を歩んできたことが、自分史を読むと手に取るように実感できる。

 昨夏、「学生会」の同窓会を開いた際には、体調に懸念があり夫人同伴だったが、元気な消息を、当時の上司、同僚にお伝えしたくて、「自分史」を要約させてもらった(1,380円+税)。

(高尾 義彦)