2018年3月28日
曽孫が5人、月刊誌に連載を持つ88歳、碓井彊さん

藤原新一郎さん(2月13日逝去、92歳)の追悼録をお願いした碓井彊(つとむ)さん(88歳)と日本記者クラブで会い、天野勝文さん(元筑波大教授)と3人で懇談した。
「1年先輩(昭和26年入社)によくしてもらいました。藤原さんをはじめ、上田健一さん(2016年没89歳)、小野満さん(1996年没 66歳)、岩間一郎さん(1987年没63歳)、石塚俊二郎さん(2002年没74歳)ら皆亡くなられて、健在は藤岡周三さんくらい」
懐かしい名前が次々に飛び出してくる。
碓井さんは、早大政経学部経済学科卒、1952(昭和27年)入社。西部本社編集局→福岡総局→京都支局→大阪本社経済部→東京本社内信部→エコノミスト編集部。デスクから別冊編集長をつとめ、定年まで18年、エコノミスト誌とともにあった。
日本記者クラブ会報2008年4月号に「編集者のみた戦後エコノミスト」を書いているが、経済白書の歴代執筆者と親しくお付き合いしていたことが分かる。
大来佐武郎。何でも頼みを聞いてくれる「ホイキタさん」。「動」の金森久雄、「静」の宮崎勇。「景気探偵」赤羽隆夫はマンガ経済学をエコノミスト誌に発表した。
経済学者を大学に訪ねている時に、慶応大商学部の入試問題漏洩事件の情報をキャッチ、社会部に通報して、社会面のトップを飾る特ダネとなった。「これは雑誌編集上の付録である」と記している。
1984(昭和59)年の定年退職後は、桜美林大、創価大の講師、高崎商科短大教授。2001(平成13)年に4年制の大学にして、学長に就任した。
日本エッセイスト・クラブ監事。日本船長協会の月報「Captain」に2006年から、その時々の話題を書き続け、現在もなお執筆している。
「川崎市の地元図書館と、日比谷図書館は常連」といいながら、日本記者クラブでも参考文献のコピーに余念がなかった。
奥さまに先立たれたが、親しい友人の紹介で再婚。「原稿を書くことはボケ防止にもなります。元気の秘訣ですね。曽孫が5人になりました」と目を細めた。

(堤 哲)