2016年7月11日
私のボランティア「認可保育園」と「小規模事業保育園」が出来た
成田 紀子(元販売局)
この保育園に私の次女がお世話になってから、43年が経過しましたが、娘が卒園してから30年余りは保育園と連絡をとることもなく、離れていました。しかし娘の子供たちがお世話になることになって、また私と保育園の接触が始まったのです。
その時この保育園はNPOを発足させる準備をしていたのですが、理事長候補が見つからなくて困っていたのです。そんな中に私が飛び込んでしまったわけです。64歳の頃で、昼間特に何もしていなかったので、当時の園長が、ちょうどよいとばかりに、「理事長は、年に3日登園してくれればよい」などという甘い言葉で釣り、保育のことは全く分からないまま、理事長を引き受けさせられてしまったのです。そして保育士さんたちの低賃金に驚いたりしながら、4年ほど理事長をやり、その間に、おんぼろの園舎から子供たちが通いやすい場所で、耐震のしっかりした建物に移転し、なんとか経営を軌道に乗せることができたのです。しかし保育士の待遇改善まではできないまま、事情があって、理事長を退任しました。
しかし昨年春また理事に復帰するよう頼まれて、NPOの運営に加わりましたが、そこでは無認可園から認可園に変わる運動が進んでいて、1月には横浜市から認可園の新設を認められたとのことでした。認可園にするためには、これまでの子供たち30数名(0歳〜2歳)という定員を60数名(0歳〜5歳)まで増やさなければなりません。そのため、大きな園舎が必要という大問題に直面しましたが、その後いろいろ紆余曲折があった結果、その目途もたって、昨年夏には新園舎の建設を始めることが出来ました。しかしその矢先、9月初めにこれまで理事長だった71歳の男性が急性の進行性末期の胃がんで倒れてしまいました。理事長として最高に多忙な時期でしたので、直ちに代行を立てなくてはということで、定職を持たない私のところへそんな役が回ってきてしまったのです。断ってぐずぐずしている時間的な余裕はありませんでした。
それからは目が回るように忙しくなりました。今までより大きい保育園の組織を作るために、建物ばかりでなく、新しい要員の体制を整えなければならなくなったのです。まず、これまでの無認可園の保育士やその他の職員のうち3分の2を新しい認可園に移し、3分の1はもとの園に残しました。もとの無認可園は国と横浜市が進めている19人以下の小規模事業の保育園に新たに衣替えすることにしたのです。しかしとても保育士や調理師が足りないので、あらゆる募集をかけました。マスコミでは保育士不足がいろいろ取り上げられていましたが、本当に保育士探しは難航しました。採用を約束していた人が数日後にキャンセルしてくることが度々あったりして、シッチャかメッチャかでした。全く体力ぎりぎりまで追い詰められた感じでした。4月1日に両園がなんとかオープンできた時は、本当にほっとしました。そんなわけで、4月5月には、いろいろな人的対策を打ちながら、なんとか保育を進めるという有様でした。
しかしそんな中でも、皆が何とか少しでも良い保育をしていこうという姿勢で臨んでいたことは、ありがたかっです。
5月22日には、開園式とお披露目会を無事ひらくことが出来ましたが、何よりも地域の方たちが保育園ができたことを喜んでくださったのは、うれしかったです。
6月9日に今年度のNPOの総会が開かれ、これまでの理事長が辞任したため、私が改めて理事長に選任されました。子供たちに少しでも良い保育をすることは当然ですが、今度こそ、保育士の待遇をなんとしてでも改善して、資格を持っている人たちが皆喜んで働きたいと思えるような保育園にしなければと現在考えているところです。


2016年7月7日