随筆集

2025年8月18日

「戦後80年に想う」④
「なくなった」づくし(永杉徹夫85歳)

 戦後80年という長い年月を経て、得たものは限りないほどある。だが、なくしたものも多い、多すぎる。年寄りの僻みと愚痴にすぎぬと思いつつも、思いつくままに。

 ●居てほしい場所に人がいなくなった

 時たま出かけて、JR大宮駅や上野駅、新宿駅などで乗り換えたりする。各線が入り乱れていて、どのホームで乗ればいいかわからないので教えてもらおうと思い、駅員さんを探すのだがホームのどこにもいない。仕方ないので改札口まで戻って聞いてやっと行く先にたどり着けるという有様で、まことに年寄りはつらい。

 竹橋の毎日新聞社を久しぶりに訪ねたが、昔あったような受付がなく、機械が受け付けてくれる。だがその操作が面倒だ。教えてくれる人もいない。

 ある会社の製品について聞きたいことがあって電話をかけたが、出てくるのは録音された音声だ。こちらの問いには答えずに「どうせい、こうせい」と機械が言う。

 人がいない。省力化のための機械化によって人がいなくなったのだ。

 「人がいない」のは、あらゆる所で言える。うじゃうじゃ人がうごめいていても、応対し応答する人がいないのだ。

 ●若者が年寄りに席を譲らなくなった

 満員電車の座席に座っている若者が多い。スマホにかぶりつくための席がほしいばかりに、年寄りを追い抜いて開いた席に我さきに座る。若者も疲れているから座りたいのだろうが、何よりもスマホのためのように思える。

 皆、老いも若きもスマホがなければ生きていけないかのような昨今だ。

 脳がスマホに乗っ取られているのだ。だがまもなくこのスマホも、今あるテレビと同じく消えてゆくことだろう。そして座るべき人に席を譲らない人間もまたいなくなるだろうが、そんな人たちが生み育てた子らにも期待はできない。

 内なる規範と規律をしっかり持った人が、いなくなったのだ。人間の顔をした猿にも劣る人間に押し出され、まともな人間の影まで薄くなったように思えてならない。

 機械化の極致であるAIが支配する世の行きつく先を考えて恐ろしがっていた時を過ぎて、既に急速にそうなってしまっているのだ。

 ●「人が大事である」と言わなくなった

 何よりも人が大事であることを、最近はあまり言わなくなった。だが、人がいること、存在することの意味深さは測り知れないほど大きい。

 戦後80年のど真ん中にあたる1985年8月12日に、日航機墜落事故が起きた。前代未聞の惨事にわれわれは息をのんだのだった。

 あの惨事からちょうど40年目にあたる今年、8月4日付毎日朝刊「クローズアップ」の「日航機墜落40年」は、1ページ全面を使った詳細な記事で読ませた。綿密な取材によって事件を浮き彫りにしていた。

 〈ハイテクに潜む「空の危険」〉という大見出しの示す通り、事故から得た教訓を木村敦彦記者が訴えたのは、人的ミスの怖さだった。記者は「最近は国際線にGPS(全地域測位システム)に不具合が生じても他の計器で位置やルートを把握すれば、直ちに安全に影響するわけではない」として、50代のベテラン機長による「普段はシステムを信頼しているので、いざという時にシステムに頼らず飛行するのは難しい。機器のハイテク化に伴ってマニュアル類は増える一方で、非常時の対応は以前より難度が高まっている」という言葉も引き出し、「航空会社が国に報告する安全上のトラブルを原因別にみると、ヒューマンファクター(人的要因)に分類される人的ミスが目立つ」とも書いている。

 だが、こうして一部を紹介するだけではまずいだろう。墜落の原因は既に、ボーイング社による機体後部主力隔壁の修理ミスによるものであると報告されている。だからここで言う人為ミスは、広い意味での人為である。要は、最後は人であるということだ。「人が大事」であることが、ここでも明らかにされているのだ。

 ●「四捨五入」によって大切なものがなくなった

 算数が不得意だった人間が言うのもなんだが、「四捨五入」が嫌いだ。

 だが科学はまさに計算によって成り立っている。そしてこの四捨五入こそはその真髄だろう。人間の社会もこの原理によっていて、「四」は捨てられ、「五」となって生き残り、生かされていく「邪魔者は消せ」というおぞましい考えである。

 だが、捨てられた「四」以下に価値がないとするのは間違いだ。

 毎日の埼玉版に、読者投稿の「短歌・俳句・川柳」が掲載されるページが毎週月曜にある。その短歌の選者・井ケ田弘美さん選の作品がみなユニークで、選評も面白いので愛読してきた。その中でことに「所沢・山本 茂」作に覚えめでたく、一等賞も、入選も多いのだが、この山本茂氏は実は筆者と毎日同期入社の山本記者だった。

 同姓同名かと思っていたのだが、まさに同期の彼だったことを最近になって知った。

 8月2日付でも彼の歌が入選している。

 「青き踏む」俳句の季語の爽やかさ 楡(にれ)の並木を歌ひてゆけば

 が、一等賞の次に掲載されているのだ。

 頭は、広大にしてはかりしれない意識の中にある。既知のものからの自由だ。そこに目を付けておられる選者の先生に拍手している。山本よ、ますますがんばれ~。

 戦後80年の今は、「四捨」されてきた「死者」たちを生き返らせる時ではないか。戦争で、大震災で、亡くなった人たちを今こそ生き返らせなければならない。

 ●「希望」に希望がもてなくなった

 見納めかと思い、友人に誘われて東京国立博物館へ行った。8月に入り酷暑が続く中の晴れた日だった。上野駅構内もすっかり変わった。集団就職の子どもたちが降りたった上野駅の面影はまったくない。しばらく降りたことのない公園口を探すのも容易ではなかったが、たどり着いた上野の森の緑を見て、こころからホッとした。

 西から東まで、全国各地が災害級の暑さに見舞われた今夏だった。ロシアの仕掛けた戦争も終結の兆しがみえてきたものの世界的不安は払しょくされていない。そんな中で見た、博物館に充満していた日本人のこころだった。

 この80年の下で我々が求めて歩んでこられたのは希望があったからだ。だが今は、その希望もついえ去る時が来ているようだ。希望という名の甘ったるい菓子になっているように思えるからだ。利己心でしかない希望から多くの犯罪的行為が生まれている。だからそんな希望の化け物には、希望がもてなくなってしまった。

 だが日本人のこころは、そんなことに負けていない。これまで、「なくなった、なくなった」と嘆いてきたが、そんな中でも思い出す人がいる。良寛さんだ。

 どこかユーモラスで、ほのぼのとした逸話を残し、「愛語ヨク廻天のチカラアル」などの道元の言葉を写経するかのように書き写して、生涯学びに徹した良寛さんは今も日本人のこころのうちに生きている。「良寛という人がいた」のではない、いま生きて、われわれを鼓舞してくれている。だから良寛さんは「今、いる」人ではないだろうか。

(2025年8月10日 記)

 永杉徹夫さんは、1964年入社。生活家庭部→地方部編集委員。高崎保育専門学校教学部長。