随筆集

2025年7月24日

追悼:自分の命を人々のために捧げるイエスを信じた金大中
金大中にこだわった事件記者、古野喜政さん

 十字架に磔にされたイエス・キリスト、金大中が持っていたペンダントが、手元にある。民主化要求デモを軍部が鎮圧し、流血の大惨事となった光州事件の首謀者として逮捕された金大中(韓国民主回復統一促進国民会議議長)は死刑判決を受けた。しかし国際的な批判から無期懲役に減刑され1982年12月23日に米国に亡命した。

 ワシントン特派員だった私(中島健一郎)は、ヴァージニア州で亡命生活を送る金大中と2年ほど付き合った。どんな経緯だったかは最近出版した『事件記者 今だから明かせる真相、そして裏話』の第5章「金大中事件とその後」を読んで頂きたいが、金大中が危険を覚悟して韓国に強行帰国した時に、中島は見送りに行った。金大中は、米国にいる間、車のフロントガラスにぶら下げていた十字架のペンダントを「中島さん、これを大切にして時々、私を思い出してください」とくれた。

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金大中から譲られた十字架のペンダント
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オンデマンド出版した拙著「事件記者」

 その十字架を見る都度、金大中は自分の命をイエスのように民衆のために捧げようと決意していたと、中島は思うのだった。

 1925年12月3日に全羅南道の荷衣島で生まれた金大中(2009年8月18日、83歳でソウルの病院で死去)の人生を振り返ると、何度も生死の危機に瀕しながらも不屈の日々を送っている。李承晩大統領の政策に反対して活動し、国会議員に当選するものの朴正熙の軍事クーデターで無効とされ、その後、国会議員に連続当選後、大統領選挙で現職の朴正熙に迫り、政敵として付け狙われ交通事故を装った暗殺計画で負傷した。イエスを思い、自分の命をいとわない気持ちは十字架のペンダントに象徴されている。

 1972年10月17日に朴正熙の「大統領特別宣言」で国会が解散され、韓国全土に非常戒厳令が出されると、金大中は逃れ、日米両国で民主化運動に取り組んだ。1973年8月8日に発生した金大中拉致事件は、そういう海外での運動にいら立った朴正熙独裁政権関係者が実行したのではないかと疑われた。

 1936年福岡県北九州市で生まれた古野喜政さんは、1960年京都大学法学部を卒業し、毎日新聞大阪本社に入社した。社会部で事件を担当。1973年3月から76年3月までソウル特派員として過ごした。まさに金大中事件は古野さんにとって大きなインパクトをもたらした。九死に一生を得て解放された金大中を自宅で取材し、古野さんは自分を犠牲にしても韓国の民衆のためという思いを貫こうとする姿に感動したに違いない。

 クリスチャンの金大中は自分を人々に捧げる強い意志から何度も危機を乗り越えてきた。「普通の政治家とは違う」と古野さんは思ったのだろう。

 2010年の秋に『金大中事件 最後のスクープ』(東方出版2010年5月10日刊)を「中島君、読んでみてくれ」と古野さんは送ってくれた。

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古野喜政著『金大中事件 最後のスクープ』
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澁澤重和取材班キャップ編纂『金大中事件全貌』

 大阪社会部の事件記者だった古野さんと、東京社会部所属の中島は一緒に働いたことはほとんどない。しかし、金大中事件5年目の証言という連載企画をまとめた『金大中事件全貌』(澁澤重和取材班キャップ編纂、毎日新聞社1987年12月刊)という本を出す時に古野さんに協力してもらった。

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古野さんの本に挟まっていた金大中と李姫鎬夫人の写真
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金大中事件について講演する古野喜政さん

 『全貌』は金大中自身が「良くここまで調べましたね」と感心してくれた本だが、古野さんの『最後のスクープ』は事件記者として真相に肉薄している。2007年3月、鳥越俊太郎さんを案内して古野さんは金大中にインタビューしている。

 古野 先生を助けたのは日本政府ですか米国政府ですか。
 金大中 情報を渡したのは米国、助けたのは日本です。
 古野 誰に聞いたのですか。
 金大中 グレッグです。(事件当時の米CIAソウル責任者、後に駐韓大使)
 古野 日本は具体的にどういう形で。
 金大中 自衛隊機がやったと思います。
 古野 飛行機は自衛隊機だったというのですか。
 金大中 (頷く)
 古野 グレッグに直接聞いたのですか。
 金大中 そうです。

 中島の取材でも、陸幕2部別班(自衛隊の非公然組織)を退職した坪山三佐が作ったミリオン資料サービスという探偵社が来日中の金大中を尾行し、情報を自衛隊に上げていた。日本の情報機関は米国や韓国の諜報組織と情報交換していた。金大中が拉致されたことはすぐ共有された。CIAが自衛隊機を飛ばすように依頼し、瀬戸内海で海に沈められようとした金大中は自衛隊機の警告で助かる。その裏付けを古野さんは金大中から得たのだった。

 古野さんの著書『金大中事件の政治決着——主権放棄した日本政府』(東方出版2006年12月刊)では日本政府が在日韓国大使館の書記官、金東雲の指紋という決定的な証拠を握りながら政治決着に走った裏を暴いている。韓国当局に監視対象のジャーナリストとしてマークされ、帰国の際には空港で取材メモ、写真などを押収された古野さんは、イエスのように自分の命を民衆に捧げた金大中との縁を大事にしていたに違いない。

 金大中は米国から強行帰国した後、自宅軟禁状態に置かれたが、徐々に政治活動が解禁され大統領選挙に2度挑戦したが、敗北した。1997年の大統領選挙に「準備された大統領」をキャッチフレーズに戦い当選した。IT先進国を実現し、小渕恵三首相と「日韓共同宣言」を発表し、日本文化の開放を進めた。太陽政策を北朝鮮に適用し、2000年6月に南北首脳会談を実現、ノーベル平和賞を受賞した。十字架のイエスを常に心に抱いていた金大中は特別な政治家と古野さんは思っていたと思う。

 事件記者は真実の追求に全力を上げ、隠された真相に肉薄する性があるが、古野さんはまさにそうしたジャーナリストだったと、中島は何度か会った古野さんの熱い語り口を思い出す。金大中の「人にとって一番大切なことは自分の命を他人のために使うことだ」という精神を古野さんは共有したから金大中事件の取材に打ち込んだのだと中島は思っている。

=敬称略

(中島健一郎=68年入社)

 古野喜政さん(元西部本社代表)は2025年4月16日逝去88歳だった。