2025年6月4日
諏訪清陵高校の野球部キャプテンは、3年の女性部員
夏の甲子園大会への地方予選が間もなく始まるが、長野県諏訪清陵高校の野球部キャプテンは、3年生の五味遥花さん。女性である。試合には出られない。


した福島清さん
男子部員は3年生が7人、2年生9人、1年生8人。他にマネジャーの女子7人。
スポーツライター清水岳志さんがプレジデントオンラインにアップした記事である。
ネット検索すると、男子野球部の女子主将は他に、旭川龍谷、駒ヶ根工、沖縄県の開邦に存在していた。
ヘェ―と思って、諏訪清陵60回生の福島清さん(毎日労組元書記長)に送ると、即返信があった。つい最近撮影した母校の写真を添えて。
《私が在学中、野球部はありませんでした。毎日新聞の諏訪清陵出身者は、諏訪中学時代に三澤祥貞さん(整理本部)、清陵になってからは藤森元規さん(連絡部)、林好彦さん(販売)、藤原誠さん(秘書室長→現下野新聞監査役)。朝日新聞では岩垂弘さん(3年先輩)がいます》
元総務部長・中谷範行さん(2022年没82歳)も諏訪清陵62回生で、OB同人誌「ゆうLUCKぺン」の幹事だった。信州学生協会の学生寮「信濃寮」、公益財団法人諏訪郷友会の学生寮「長善館」(調布市)事務局長を長く務めていた。
余談ながら諏訪清陵で思い出すのは、お天気博士といわれた藤原咲平(第5代中央気象台長)の気象人脈である。直木賞作家新田次郎(藤原寛人、31回生)は気象庁測器課長で退職した。
それはともかく、野球部の話。諏訪中→清陵高校の野球部史を78回生川村益昭さんが同窓会報に綴っている。
学校の創立が1895(明治28)年。その4年後99(明治32)年に野球部は創設されたが、1926(大正15年)廃部。「野球は広いグラウンドを占有するし、しかも金食い虫。県外へ遠征してまで野球をやるなどいかがなものか」などが廃部理由だった。
戦後、1947(昭和22)年野球部は復活するが、4年後、再び廃部。川村さんが入学した72(昭和47)年は野球部がなかった。「立ち上がれ清陵健児! 野球部復活を目指す!!」と、校門でビラを配った、と書いている。
1975年春、清陵野球部は念願の高等学校野球連盟に25年ぶりに加盟し、初の公式戦北信越大会長野大会に登場する。念願の夏1勝を挙げたのは、創部4年目の78年。
96年夏は長野大会決勝まで進み、あと1勝で初の甲子園だった。東海大三(現・東海大諏訪)に1-3で敗れた。
2004年も決勝に進出したが、塚原青雲に4-5の1点差で涙をのんだ。
2025年、創部51年目の夏である。五味遥花キャプテン以下、一日でも長く「甲子園出場」の夢を追い続けてもらいたい、と思う。
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プレジデントオンラインに記事を書いた清水さんは、同じ長野県上田高校→88年早大文学部卒。前身の上田中学野球部から、第1回早慶戦(1903年)に出場した慶應義塾キャプテン宮原清、エース桜井彌一郎(ともに野球殿堂入り)がおり、堤哲編著『早慶戦全記録』(啓文社書房2019年刊)に「早稲田の挑戦を受けた上田中の先輩」を寄稿している。
早大時代「早稲田スポーツ」第27代編集長。私(堤)は第3代編集長だったから、2回り24年後輩となる。
(堤 哲)
福島さんからせっかく送られて来たので、写真を掲載します。


