随筆集

2022年8月15日

「カクヘキ(隔壁)」って? 37年前の日航ジャンボ機墜落事故を、社会部運輸省担当だった菊池卓哉さんが回想

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1985年8月16日付毎日新聞朝刊1面

 あの日からもう37年の歳月が経ってしまった。早いものである。

 1985年8月12日の暑い夏の夕方、私は運輸省(現国土交通省)5階の記者クラブにいた。レク資料を整理しながら、他社の記者たちと雑談していた。

 午後6時57分ごろだったと思う。「レ-ダ-から日本航空123便の機影が消えたようだ!」。そんな情報が記者クラブに飛び込んで来た。

 「おい、本当か?」「まさか」。各社に緊張が走った。

 私は社会部デスクと遊軍長に一報を入れた。社内は色めき立った。ほどなく、日航機墜落は現実となり、ほぼすべての東京社会部記者は本社に動員された。全社挙げての取材体勢が始まった。

 私は軟派(現場雑感等)ではなく硬派(墜落原因究明)に力を注いだ。「機体や機内で一体何が起きたのだろうか」。疑問を抱きながら本当に「不眠不休」の取材が始まった。

 一切の予断を捨てた。日航ジャンボ機(ボ-イング747型機)について専門家から知識を得よう、と駆けずり回った。

 「原因原因原因…」。コクピット(操縦席)の仕組みを調べ、何人もの専門家に会い、考えた。墜落原因はいくつも想像できた。でも、原因はそのうちのひとつかふたつだろう。

 取材して耳にしたのは現役パイロットの口から出た「カクヘキ(隔壁)」の言葉だった。華やかなジャンボ機にあって、「カクヘキ」は素人には耳馴れない存在。でも、その「カクヘキ」は航空機の内圧を一定に保つため、胴体の前後に設置された頑丈な「仕切り」であると学習した。これなしには、航空機は安全に飛行できない。航空工学上、「カクヘキ」は絶対的強度を保持しているという。そのパイロットは、推論ではあるが、「カクヘキの破損も否定できないのでは」と話してくれた。そのことを東大教授(航空工学)にぶつけると、「ヒコ-キのことをもっと勉強しなさい!カクヘキ破壊なんて万が一にもないんだよ!」とけんもほろろに突き放された。

 墜落の可能性は幾つも数えられた。それを書くことは「書き得」になる。だが、自己満足でしかない。「何が事実なのか」。私はそれにこだわった。抜くか抜かれるか。焦る気持ちを抑えながら、とにかく確たる情報を探った。

 14日未明。何度も訪ねた霞ヶ関の幹部宅の夜回りで、「後部隔壁破裂」が主因との情報を得た。午前4時近くであった。それでも、デスクは14日の夜討ち朝駆けを命じた。現地(前橋支局)からの情報とすり合わせながら、16日朝刊で「最初に後部『隔壁』破裂」のスクープを打った。

 このニュースは、当時花形であったジャンボ機を使用する世界各国に速報された。事故原因取材斑はじめ、前橋支局の記者たちの総力を挙げた取材の成果であった。

 日航123便は墜落の7年前、尻もち事故を起こし、隔壁を修理ミスしたことが判明した。東大教授の「万が一にも破損はない」との説明は正しかったことになる。

 この墜落事故の2年前、私が防衛庁(現防衛省)担当時の1983年9月には、北海道宗谷海峡付近で、ソ連による大韓航空機撃墜事件が発生した。国際的な大事件と事故を体験したことは忘れられない。

 故郷の札幌に戻って10年。再会を願った幾人もの社会部の先輩、同僚諸氏が旅立たれたことは悲しい。この場を借りてご冥福を祈りたい。

(社会部旧友・菊池卓哉 75歳)