新刊紹介

2025年7月15日

倉嶋康著『少年と戦争』

画像

 55年入社倉嶋康さん(92歳)が2022年4月4日からFacebookで連載した「少年と戦争—北京 羅南 京城 大邱 敗戦 歩け!明日へ」をまとめて、出版する。B5判280㌻。

第1章 CHINA・北京 編
第2章 KOREA・羅南 編
第3章 KOREA・京城 編
第4章 KOREA・大邱 編
第5章 敗戦 編
第6章 歩け!明日へ 編
倉嶋康・略年譜▽あとがき▽編集・制作を担当して

 以下に、倉嶋さんからの執筆の動機をコピペします。同時に、福島清さんが1冊1800円で購入を呼び掛けています。その案内も掲載します。(堤 哲)

画像
倉嶋康さん

「少年と戦争」はじめに

 ことし2025年は、「昭和100年」であり、また「敗戦後80年」にあたります。

 日本が国際聯盟を脱退し欧州にナチ政権が生まれた昭和8(1933)年に北京で生まれた私は「支那事変(日中戦争)」の真っ只中で育ちました。父の転勤で朝鮮に移ってからは大東亜戦争(第二次世界大戦)の激動の中にあり、南朝鮮で日本の敗戦を迎えて母国に引き揚げました。

 当時の記憶は少年の脳裏に焼き付いて離れません。その思い出に父母が書き残した話を加えて、戦争に巻き込まれた半島と内地の庶民の生活と思いを、率直に表現したいと考えました。

 世間をまだよく知らない少年の目が見た戦時下の庶民生活。見た目は似ているけれど日本人とは全く違う民族に囲まれたアジア大陸の「支那(しな)」と朝鮮に住む日本人たちの暮らし。敗戦による劇的な大転換。日本人の多くが経験し、二度と味わいたくないと思っているであろう戦争。その中でのさまざまな出来事を淡々と書きたいというのが私の長年の思いでした。

 それをうながしたのが、2018年から始めたフェイスブックに連載した「ゴビに揚がる一枚の凧」に寄せられた1通の感想でした。

 「日本と当時の中国、朝鮮との関係を当時の空気の中で語れるのは、極めて貴重です。それは残念ながら、歴史書では得られません。歴史に限界があることを、若い人に伝えたいですね。学問の限界でもあります。特に、日本と朝鮮の真の関係(その時代を正に生きた少年の目に映った)を書き残してください。」(2021年8月21日 黒田耕太郎さん)。

 戦争、そして敗戦を身に沁みて味わった日本。そして戦後の激しい左右の思想的、政治的対立。これらを経て日本人は地理的、歴史的に最も身近な朝鮮(韓国)民族、中国民族に対して一種の固定観念を作り上げたのではないでしょうか。私は「そうかな、そうだったかな、ちょっと違うのじゃないかな」と首をかしげる時がしばしばありました。

 別に異論を唱えようとは考えていません。ただ、その時その場にいた一少年として、見たこと、思ったことをありのままに書きたいと思うだけです。巨象の一部分を撫でているだけかもしれませんが、皆様にフラットな気持ちで読んでいただければ、うれしいです。少年の目だけでは純粋ではあっても見誤りがあるかもしれません。それは父母が遺した自著で補ったつもりです。

 本書は、2022年4月4日から2025年7月15日までフェイスブックに掲載した記事をまとめたものです。単行本として発行するからには、全文を見直して再編集すべきですが、それには相当な時間と労力が必要です。とても無理なので、掲載順のまま、誤りなどを訂正してまとめました。「*」印は、フェイスブック上での記事一回分の区切りです。

 ≪おことわり≫

 この連載では、土地の呼び方は当時のまま支那、朝鮮、内地、半島、北鮮、南鮮、京城、平壌などとしました。また登場人物の敬称を一部省略させていただきました。

 戦前、戦中のさまざまな出来事があからさまに表現されていますが、すべては私が少年時代に見た、感じたものであり、また父母らの思い出をもとにしたものです。私自身の思想・信条とは関係ない内容とお受け取り下さい。

 年号は「昭和(西暦)」とし、第1部から第5部の漢字は旧字体としました。

 本文中、随所に ≪サイド≫ として、その時々の社会情勢、発生した事件などの解説と補足、さらに家族や身辺のことなどを加えました。

 また『ナラタージュ=追想』と題して、当時の感想を補足しました。

倉嶋康著 「少年と戦争」 ご購読のお願い

 毎日新聞福島支局時代に「松川事件」裁判で死刑判決を受けた被告らの完全無罪を証明する「諏訪メモ」をスクープした倉嶋康さんがフェイスブックに連載した記事を『少年と戦争 北京・羅南・京城・大邱・敗戦・歩け!明日へ』と題して再編集して刊行します。

 1931年の「満洲事変」に始まる「15年戦争」下の1939年に北京で小学校に入学し、中国と朝鮮で生活し、敗戦で苦難の引揚げを体験した倉嶋少年が見聞した出来事を書いています。今年92歳となった倉嶋さんの記憶の多彩さ、正確さは驚くばかりです。

 倉嶋さんの父・倉嶋至さんは北京の日本大使館勤務から咸鏡北道警察部長(羅南・北朝鮮)、朝鮮総督府情報課長(京城)、慶尚北道内務部長(大邱)と、日本が1910年に弾圧併合した朝鮮の各地でいわば支配層の一員として仕事をしていました(帰国後、1954年から2期、長野市長をされています)。従って当時の朝鮮の人々との間にはさまざまな軋轢が起きました。それらの一端を克明に記録しているほか、要所要所で≪サイド≫と題した補足を加え、さらに父の記録と、母・日露子、姉・日出子の「回想」を加えて、戦争の時代の中国、朝鮮の人々の動向を広く、詳しく紹介しています。今年は「敗戦後80年」。あの戦争の記憶が薄れていく今、少年の目に写った戦時下の北京と朝鮮各地の動きと人々の生活を記した記録と写真は貴重です。B5判、280頁。

 ご希望の方、発行・制作担当者宛に、ハガキ・FAX・メールにてお申込みをお願いします。

◆申込先  190-0001立川市若葉町1-24-30-7312  福島 清
FAX 042-536-7625
メール 

 代金は1冊1800円(送料込み)、代金はゆうちょ銀行払込票にてお願いします。
口座番号=00130-2-761349 加入者名=福島 清

 ご注文受付は、7月31日までとし、まとまりましたら印刷屋さんに発注します。本は、印刷屋さんから直接みなさまに送っていただきます。8月中にはお届けできる予定です。

 なお、本書は国会図書館はじめ長野県内図書館などに寄贈する予定です。そのために経費が必要ですので、カンパをいただければ幸いです。

<発行・制作担当者>
福島 清 
 (毎日新聞活版OB、北大生・宮澤弘幸「スパイ冤罪事件」の真相を広める会・事務局)