新刊紹介

2024年4月30日

英国在住の元外信部、阿部菜穂子さんが新著 ‘The Martyr and the Red Kimono’ (英語版)

 新著 ‘The Martyr and the Red Kimono’ (英語版)が4月18日、英国・ロンドンで出版されました。5年にわたる取材と調査がようやく実り、ほっとしています。実はこの本にはいろいろなテーマが含まれているのですが、ひと筋大きく流れる主題は「戦争と平和」です。

 主人公は第二次世界大戦時にアウシュビッツで殺害されたポーランド人神父のマキシミリアン・コルベ氏と長崎の原爆生存者で修道士だった小崎登明さん、そして日本を代表する北海道在住の桜守、浅利政俊さん(93)の3人です。

 コルベ神父は戦前、ポーランドで世界最大のカトリック修道院を創設。雑誌や新聞などのメディアを通じてキリスト教を広めるという新しい布教方法を導入して成功し、ポーランドで絶大な影響力を持っていました。神父はジャーナリスティックで進歩的な視点を持っていたのです。1930年代には長崎市に6年間住み、「聖母の騎士修道院」を設立しました。戦前のポーランドでは反ヒットラーの記事を掲載しつつ、国民の団結を呼びかけ、ナチスの侵略後は修道院を避難民に開放して世話をしました。アウシュビッツでは人間愛と愛国心を説き続け、他人の身代りとなって亡くなります。1982年にカトリックの聖人に認定されました。

 小崎さんと浅利さんは昭和ひと桁生まれで、戦争を体験した最後の世代です。小崎さんは17歳の時に長崎で原爆に遭って母親を失い(父親は早く亡くなりました)、孤児となります。原爆を生き残ったのは三菱重工業の地下工場で魚雷製作にあたっていたからです。凄惨な原爆の荒野を見、肉親をほとんどすべて失って生きる意欲を喪失しますが、聖母の騎士修道院の門をたたき、修道士になることを決意して徐々に立ち直っていきます。そしてコルベ神父の存在を知り、生涯を通じてポーランドを10回訪ね、神父の研究を続けました。その一方で原爆の語り部として二度とこのような惨状が起きないようにと平和の尊さを訴え続けました。小崎さんは取材中の2021年に逝去されましたが、原爆当時の日記を含め、多数の資料を提供してくれました。

 浅利さんは終戦時14歳で、敗戦に大きなショックを受けます。戦後は小学校の教師となりますが、戦争中日本を支配した天皇崇拝イデオロギーとそれに基づいた侵略戦争の歴史を重く受け止め、戦時中に北海道へ連れてこられた朝鮮人や中国人労働者の実態や、日本軍の捕虜として函館の捕虜収容所で過酷な労働に従事した連合軍(主に英国人)兵士らの境遇をコツコツと掘り起こし、明らかにしました。浅利さんはまた、桜を愛し、戦後116種もの新しい品種(総称して「松前桜」と呼ばれます)を創作。美しい桜を海外、とくに日本が侵略したり被害を及ぼした国々に、償いとして贈る平和活動を続けました。1980年代後半にNHKが浅利さんの平和活動を全国報道した際、番組を見たカトリック信者でコルベ神父の信奉者の女性が、浅利さんの桜を神父の鎮魂のためにポーランドに贈ることを提案。浅利さんに小崎登明さんの書いたコルベ神父の本を送ります。

 

 これがきっかけで400本を超す浅利さんの桜が海を渡ってポーランドの修道院に届きました。

 

 それから35年後、桜の行方を追跡調査したところ、3本がまだ生きており、花をつけていたことがわかりました。生き残っていたのは、ポーランド南部、ウクライナとの国境に近い人里離れた村にひっそりと建つ、修道女たちの住む修道院の庭でした。また、桜のそばには、赤い着物をまとった黒髪のマリア像が立っていました。着物には桜の花びらがあしらわれていました。

 静かな村は、2022年のロシアのウクライナ侵攻以来、一転して世界の注目を集める場所となりました。戦禍を逃れるウクライナからの多数の避難民は、いずれも国境を越えてポーランドに入り、この村の近くを通って各地へ散っていきました。

 生き残った浅利さんの3本の桜と赤い着物のマリア像は、今も静かに現地でたたずんでいます。コルベ神父は第二次世界大戦中に命を落としましたが、他の二人は生き抜いて神父の生きざま、死にざまに大きな影響を受け、平和へのメッセージを発信し続けました。私には、3本の桜と赤いマリア像は、いまも戦争をやめない人間たちに、彼らの残した渾身のメッセージを送っているように思えてなりません。

 このような重いテーマを追いかけ、アウシュビッツや長崎原爆の想像を絶する惨状を文字にすることは、大変つらい作業でした。でも、3人の全身全霊を捧げたメッセージを過去のものにしてはいけないと思いました。平和希求の伝言は、人類の未来に向けた一条の光であり、希望だと思います。

 英語版を出版して「ほっとした」のもつかの間、これから日本語版への翻訳作業にかかります。日本語版は2025年以降、「殉教者と赤いマリア像」(仮題)として岩波書店から出る予定です。

(阿部 菜穂子)

英語版はペンギンランドムハウスから出版されました。

https://www.amazon.co.uk/Martyr-Red-Kimono-Sacrifice-Generation/dp/1784744530

英タイムズ紙が拙著「The Martyr and the Red Kumono」について、27日付でとても好意的な書評を書いてくれました――と阿部さんのフェイスブック。

https://www.facebook.com/naoko.abe.737