元気で〜す

2018年9月18日

「銀座一丁目新聞」牧内節男さん

 8月31日に93歳の誕生日を迎えた牧内節男さん。

 17日の敬老の日にブログでこう発信した。

   100歳以上の人6万9785人。
   うち男性8331人、女性6万1454人。
   女性の方がはるかに長生きだ。
   「生涯ジャーナリスト」を目指す私はまだ93歳。あと7年もある。
   一応目標にして健康に注意していこう。

 陸士59期。卒業寸前、敗戦で全てがご破算になった。食うために昭和21年1月から新聞記者の道に入った(1年半地方記者、あとは全国紙)――。(東京本社編集局長・常務取締役西部本社代表・スポニチ社長などを務めた。)

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 9月20日の銀座一丁目新聞には、新聞記者生活を振り返って、以下のように書いている。

 愛知県岡崎の地方紙時代、逮捕前の殺人容疑者と単独インタービューする貴重な経験をした(昭和22年夏)。当時つけられたあだ名は「青柿君」。文章のカタさからつけられたもの。

 白山丸でモンテルパノ戦犯たちが帰国した取材では横浜港外に停泊した白山丸に舷首に備えられた取っ手を伝って軽業師のように乗船する苦労をした(昭和28年7月)。帰国者の中に「モンテンルパの夜は更けて」を作曲した57期の伊藤正康さんがいた。

 台風で孤立した村へ濁流をくぐって渡る取材もした(昭和29年秋)。

 「退く戦術 われ知らず 見よや歩兵の操典を」(歩兵の歌)。ともかく突っ走った。その苦労は本科時代一週間連続での夜間演習に比べれば大したものではなかった。

 警視庁記者クラブ在籍時代。「麻雀」「花札」「競馬」「碁」などを覚えた。何人かのキャリアの課長(その後警察庁長官や宮内庁をやった人たちである)と雑談するうち読書の大切さを教えられた。時の警視庁総監からは「人毛嫌いしすぎる、人の短所をみす、長所を見てつきあいなさい」と忠告された。

 上司にも恵まれた。連載企画を任され企画立案のノウハウを自然と覚えた。この部長は当時「伍長」というあだ名があった。

 新聞記者は事件に育てられるといわれる。戦後の多くの事件を手がけた。下山事件、造船疑獄、日通事件、田中章治事件、ロッキード事件などである。

 戦術では「決心攻撃、矢(攻撃の重点)は左」と教わった。どこに取材の重点を置くかを考えた。『作戦要務令』が役にたった。「軍の主とする所は戦闘なり。故に百事皆戦闘を基準とすべし」だから「寝食を忘れ家庭を顧みず」働いた。電通の「鬼の10則」を拳々服膺する所以である。

 何が働き改革だといいたくなる。「凡そ兵戦の事たる独断を要することすこぶる多し而して独断はその精神において決して服従と相反するものに非ず」おかげでデスク、部長時代についたあだ名が「独断と偏見」「ドクヘン」であった。

 昭和43年メキシコ五輪の際。社会部から誰を出すかという時、社会部長に呼ばれた。「君は独断と偏見の持ち主で協調性がない。これではメキシコへ支局長として出すのをためらう」という。

 私は言った。「それは大変な誤解です。私をメキシコに出したら名支局長になって見せます」。部長の決断でメキシコ五輪を取材した。良い経験をした。

 ロッキード事件では論説委員から50歳で社会部長になった。それまで50歳を過ぎて社会部長になった人は1人しかいなかった。それだけ激職ということだ。同期入社の編集局長の要請であった。その後の私の人生を激変させたが親友の願いに応えた。

 ロ事件では「作戦要務令」に従って取材人員の配置を取材対象ごとに柔軟にした。記事も「コラム」「企画連載」も取材も効率的に進めることができた。私は常に「作戦要務令」が言う「為さざると遅疑するとは指揮官の最も戒むべきところとする是此の両者の軍隊を危殆に陥らしむることその方法を誤るよりも更にはなはだしきものあればなり」を念頭に置いていた。

 当時「毎日新聞を見ればロッキード事件のことがよくわかる」と言われたのを誇りとする。

 全国紙からスポーツ紙に移ってから文化事業に力を入れた。

 定年後もネットで新聞を出している。

 一貫して心の底流にあるのは「義を取り名節を貴び廉恥を重んず」という士官候補生の矜持であるように思う。これは2年8ヶ月の士官学校生活で身に付いたものであろう。

 戦後、阿南惟幾大将(敗戦時陸軍大臣で自決された)が「勇怯の差は小なれど責任感の差は大なり」を座右の銘としていたことを知って仕事する上での責任感について考えさせられた。

 男は常に責任を問われる。与えられた仕事は責任を持ってやることだと気が付いた時、死が怖くなくなった。その意味では戦後忌避されている陸海軍の将帥の伝記は後世に伝えるべきものであると痛感する。

銀座一丁目新聞
http://ginnews.whoselab.com/180920/safe.htm

(堤  哲)