随筆集

2025年12月24日

続・小畑和彦さんが育てた人材……

 大阪で勤務したことのある人は、北新地の居酒屋「ふ留井」を知っていると思います。

 その「ふ留井」の女将ますみさんから携帯に電話が入った。

 「毎友会HPにあった小畑和彦さんの記事(10月24日随筆集)を読んで、この朝日新聞の記者は小畑っちゃんと一緒にこの店に来ている、とピンときた。昔のサイン帳を調べたら、あったのよ」

 興奮気味に話すので、「写メして送ってよ」と頼んだ。

 「それが私は機械に弱くて、できないのよ。誰かに頼んでみる」

 それから1週間ほどして、元大阪社会部の後輩記者からサインが送られてきた。

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 2人は早稲田大学文学部の学園紛争で知り合った。小畑さんは社会部4方面のサツ回り。樋田さんは、第一文学部の1年生で、1972年11月学内でリンチ殺人事件が起きたあと、自治会再建運動の先頭に立って第一文学部学生自治会執行委員長になった。

 樋田さんは、4年前に『彼は早稲田で死んだ 大学構内リンチ殺人事件の永遠』(文藝春秋)を発刊、大宅壮一ノンフィクション賞を受けた。

 その本にこうある。

 ——(1978年に)朝日新聞に入社し、初任地が高知支局に決まると、私は早稲田で取材を受けた毎日新聞の小畑和彦さんに連絡を取った。記者として働き始める前に、この仕事を志すきっかけにもなった小畑さんに会って挨拶しておきたかったのだ。彼は大阪に転勤しており、高知へ向かう途中に立ち寄ると、私が新聞記者になったことをとても喜んでくれて、『あの時代をよく生き延びたね。記者の仕事は大変だけど、面白いぞ』と励ましてくれた。

 小畑っちゃんが「ふ留井」に連れてきたのは、「入社8か月」と樋田さんがサイン帳に書いているから、何かの用事で大阪に来たときのことであろう。

 樋田さんは、高知支局→阪神支局→大阪社会部。大阪府警察担当、朝日新聞阪神支局襲撃事件取材班キャップ。のちに『記者襲撃 赤報隊事件30年目の真実』(岩波書店2018年刊)を出版。和歌山総局長などを歴任し、2012年から17年まで村山美知子社主の大阪秘書役を務めた。

 朝日新聞社は、村山龍平と上野理一が1年交替で社長を務め、日本を代表する新聞に育て上げた。その娘村山美知子社主、上野家の二代目上野精一氏を書いたのが、『最後の社主 朝日新聞が秘封した「御影の令嬢」へのレクイエム』(講談社2020年刊)、『分岐点 「言論の自由」に殉じた朝日新聞もう一人の社主』(岩波書店2025年刊)である。

 ますみ女将の話の続き。

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小畑和彦さん

 ——小畑っちゃんとは、家族ぐるみの付き合いで、東京社会部に戻ってから、埼玉県の自宅に伺ったこともあるのよ。

 小畑和彦さんは、68年入社で水戸支局が振り出し。64年入社の私(堤)は、長野支局から水戸支局に転勤して、2年目に出会い、サツ回りを引き継いだ。65年入社佐々木宏人さん(2024年11月没83歳)と3人で同じ下宿にいて、毎晩のように3人で飲み歩いていた。

 小畑っちゃんが入院して「ツーさんにお酒を教えられなければ」と言われた時は、ショックだった。2012年没、67歳。

(堤  哲)