2024年12月9日
セスナ機突入のその日、児玉邸で出張散髪

ギンザの情報誌「銀座百点」12月号を読んでいたら、児玉誉士夫邸にセスナ機が突入する事件があった時、銀座米倉の理容師が出張散髪で現場にいたという。1976(昭和51)年3月23日のことである。
「児玉誉士夫さんといえば、右翼の実力者。確か、命を狙われて、世田谷の自宅に、セスナ機が突入するという事件が、ありましたね」
「よく知っていますね。実は、その時、米倉のスタッフが、散髪のため児玉邸に出張していて事件に遭遇しているんです」=森岡督行「森岡写真探偵団」
幸い、児玉さんも理容師さんも無事だった。
毎日新聞社が発行した『児玉番日記』にはこうある。
〈9時45分〉「ゴー」という爆音とともに小型飛行機が児玉邸の上を超低空飛行。
〈9時51分〉「ドカン」という爆弾でも落ちたような衝撃音。すぐ南側から火柱が五、六十㍍も上がり、黒煙がモクモクと。
児玉邸に張り付いていた児玉番記者は、無線カーから送信ボタンを押して「応援、応援、応援下さい」と、現場の状況を説明することなく「オーエンクダサイ」を繰り返した、と同書にある。
夕刊1面トップの写真を見ると、衝突直後の現場写真が載っている。消防士のあとに続いて邸内に入って撮影したのであろう。
さすが右翼の大物といおうか。ロッキード事件が発覚した2月6日以降、ずっと自宅に居続け、身だしなみが気になって、行きつけの銀座米倉に出張散髪を頼んだのだろうか。
(堤 哲)