随筆集

2024年7月8日

「明治百年」から半世紀余、来年は「昭和百年」

 2024(令和6)年は、昭和99年。来年は「昭和百年」に当たる。

 1968(昭和43)年は、「明治百年」だった。毎日新聞は、その2年前、66(昭和41)年1月から全国46都道府県の地方版で「明治百年」の連載を始めた。「当時の東京本社地方部長林原竜吉の発案によった」と、『新潟の明治百年』のあとがきに新潟支局長高橋久勝が書いている。

 この企画は当たった。地方版での連載の後、出版されたのである。その苦労話を63入社澁澤重和さん(83歳)が、「ゆうLUCKペン」第46集(2024年2月発行)に書いている。

 私の新聞連載の手法 その一

 ―『埼玉の明治百年』の出版―

 上下2巻で出版、その上巻には

 1967(昭和42)年1月1日初版発行
         2月1日再版発行
         2月10日3版発行
         2月20日4版発行
         3月30日5版発行

 とあるから、発売と同時に爆発的な売れ行きだったようだ。

 発行 毎日新聞社浦和支局

 責任者 石綿清一

 執筆者 湯沢 保
     石橋武之
     澁澤重和
     田村徳章
     杉本良夫
     村田豊明
     岡崎 博

 印刷 株式会社 誠美堂印刷所

 石綿は浦和支局長、湯沢は社会部からの三席、石橋は62入社、澁澤・田村は63入社同期のうえ生年月日が一緒の奇縁だった。杉本は64入社だが、浦和支局3年余りで渡米留学、そのまま退社してオーストラリア・メルボルンのラトローブ大学の教授となった(この毎友会HP「元気で~す」参照)。村田は65入社。

 澁澤はこう書いている。

 《『埼玉の明治百年』上巻序文には、当時の支局長が「膨大な文献、資料を丹念に調べた渋沢重和記者らが組み上げた骨格の上に支局、通信部を動員して肉付けされ、毎週埼玉版を飾りました」と書いてあった》

 《しかし、小生にとって「忘れ難い思い出」として残っているのは…連載を単行本として刊行するさいのことについてである》と続けている。

 そして誠美堂・古瀬政一社長に教えに従って本づくりに取り組む。ページのレイアウトを工夫し、表紙カバーに中学生の版画を採用した。

画像左:上巻表紙「川越市の時鳴鐘」
画像右:下巻表紙「秩父夜祭」

 版画の作者の名前が入っていない。上巻は「川口一中」、下巻は「秩父二中」の生徒の作品とあるだけ。《今、脳裏に浮かぶことは「なぜ製作者本人の名前を記録しなかったのか」という改悟の念である。今は二人とも七十代の前半であろう》

 首都圏では東京、神奈川、千葉も、連載を単行本化している。ほとんどの支局で出版したと思われるが、私(堤)がいた水戸支局では、主に61入社江本富貴夫、65入社佐々木宏人が執筆、支局長上村博美は本の販売に全力を挙げ、県下の記者ら全員に黒のダブルを採寸してつくった。「これ1着あれば、冠婚葬祭すべてに利用できる」といって。そして支局の屋上で全員揃って記念撮影をした。その黒のダブルは今もタンスにある。

=敬称略(堤  哲)