随筆集

2024年5月27日

『東大ラグビー部百年史』から④ キャップ第1号の寺村誠一さん

 東大ラグビー部の名FB寺村誠一さんは、1928(昭和3)年入社。写真は論説室OB会で、94歳の時のものだ。床に座っている最前列後ろの中央。左隣に紅一点増田れい子さん、小池唯夫元社長。右に林卓男さん。右端の細島泉元編集局長を含めこの列は全員鬼籍である。

2000年9月13日「アラスカ」パレスサイドビル店で=雑誌「財界」2000年10月号から

「サンデー毎日」1930(昭和5)年11月2日号の表紙

寺村荘治さん

 寺村さんは入社後、ラグビー日本代表に選ばれて1930(昭和5)年秋、カナダ遠征へ遠征した。東大からは、もうひとりFW(現在のNo8)和田志良、毎日新聞からは岩下秀三郎(慶大卒、のち毎日広告社社長)も。9月24日の対ブリティッシュコロンビア州代表戦に出場した選手に、「キャップ制度」が始まった1982(昭和57)年、キャップ第1号の栄誉が与えられた。

 寺村さんは1938(昭和13)年から3年間ベルリン駐在。ヒットラーから直接取材している。戦後、東京本社資料部長を3年ほど。その後、東京本社欧米部長、大阪本社外信部長、論説副主幹を歴任した。退職後は国会図書館海外情報調査室専門調査員を務めている。翻訳書多数。

 その長男の寺村荘治さんは、63入社。ワシントン特派員時代、大邸宅を借りて住んでいた。1980年に東郷文彦駐米大使が帰任の際、この寺村邸で各社のワシントン特派員が集って送別会を開催した、と他社の元特派員が日本記者クラブ報に書いている。

 荘治さんは、81年7月帰国。経済部に戻って大蔵省記者クラブ財研キャップとなったが、スピンアウトして会社を立ち上げ、翌82年「財界」1月号から「甦るアメリカ」を19回連載している。98年2月10日没、60歳。父誠一さん(2003年8月23日没、97歳)より先に亡くなった。

ラグビーの話は、すでに書いた。こちらを参考までに。

https://maiyukai.com/essay/20210402

(堤  哲)