新刊紹介

2025年12月18日

太田阿利佐・共著『日本に生きた〈ディアスポラ〉』

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 副題が「アルメニア人大虐殺とダイアナ・アプカー」。

 版元に藤原書店HPによると、「幻の世界初“女性領事”、初の評伝」とある。

 ——第一次世界大戦中のオスマン帝国による「アルメニア人大虐殺」――その難民救済のため、日本で苦闘した女性がいた。

 自らも〈ディアスポラ〉の一人として半世紀を日本で生き、国境を越えた人脈と精力的な情報発信によって救済活動を展開、アルメニア第一共和国(1918-20)から駐日名誉領事にも任命されたその足跡を、多数の書簡や新聞・雑誌寄稿を発掘し初めて描く。

 ディアスポラ(Diaspora)をAIに尋ねると

 故郷や祖国を離れて世界各地に散らばり、暮らす民族集団やその状態を指す言葉で、元来は「種をまく」「散り散りにする」を意味するギリシャ語が語源です。歴史的にはユダヤ人の離散(バビロン捕囚など)に由来しますが、現在では経済的理由や紛争などで故郷を追われた移民、難民、少数民族コミュニティ全般を広く指し、共通のアイデンティティを持ちながら、故郷への想いを抱きつつ異国で生きる人々の状態を表します。

 と解説してくれた。

 藤原書店HPの続き。ダイアナ・A・アプカー(Diana Agabeg Apcar, 1859-1937)は明治末期から昭和の初めに日本に在住し、オスマン帝国による大虐殺、ジェノサイドを逃れて日本にたどり着いた数多くのアルメニア難民を救った。彼女の名は、オスマン帝国やロシアだけでなくヨーロッパに散らばった難民たちにまで届き、彼らにとってダイアナがいる日本は「希望の地」となった。

 1915年から1923年にかけてのアルメニア人ジェノサイドでは、最大150万人が虐殺や飢餓、疲労などで命を落としたと言われている。ダイアナは、アルメニア人が虐殺される危険を察知し、1912年から国際社会に対して警告を発し続けた。……時にはやや強引な論理でアルメニア難民を救おうとする彼女と、日本の内務省・外務省とのやり取りは、ある時は大きくすれ違い、ある時は通い合う。歴史の中で、人々を守ろうと必死に奮闘した一個人の姿がそこにある。

 定価:4,180円(税込)、四六判432㌻。

 共著者のメスロピャン・メリネさん(Mesropyan, Meline)は、1985年アルメニアの首都エレバン生まれ。東北大学大学院国際文化研究科(GSICS)博士課程修了。現在、同研究科フェロー。博士(国際文化)。ダイアナ・アプカー財団創設者の一人。

 太田阿利佐さんは、1965年東京都生まれ。上智大学文学部社会学科卒業。1988年毎日新聞社入社、大阪社会部、夕刊編集部などを経て2015年から英文毎日室長兼The Mainichi編集長、2018年毎日小学生新聞編集長。2021年退職。現在、認定NPO法人難民を助ける会(AAR Japan)広報部勤務。認定NPO法人エファジャパン理事。

 分担執筆に、毎日新聞夕刊編集部『おちおち死んではいられない――この国はどこへ行こうとしているのか』(毎日新聞社、2008年)。

 父親の太田稀喜さん(1997年没62歳)は、1960年毎日新聞入社(松尾康二、故原田三朗と同期)。社会部→経済部→エコノミスト編集部→外信部副部長→ジュネーブ支局長→英文毎日編集部長→毎日ウィークリー編集長→英文毎日局次長を歴任。石巻専修大学経営学部教授、専修大学文学部非常勤講師。夫人の父親が毎日新聞OBで専修大学理事長・第8代総長だった森口忠造さん(1988年没79歳)。忠造さんは毎日新聞論説OBらの「さつき会」のイニシャルメンバー(59入社天野勝文元筑波大教授)で、来春のセンバツ出場が確実な専大松戸高でも理事長を務めている。

(堤  哲)