新刊紹介

2022年10月11日

元学芸部長、柳川時夫さんが「毎日新聞コラム『余録』選 2003~2022」

 今年は毎日新聞創刊150年ですが、1面コラム「余録」にはその前身から数えれば120年の歴史があります。

 新聞記事がまだ文語体で書かれていた明治の後期、大阪毎日新聞が創設した親しみやすい口語体のコラム「硯滴(けんてき)」が、その「前身」というわけです。後に東京日日新聞では大阪の「硯滴」と同じ内容のコラムを「余録」のタイトルで掲載するようになり、両紙の毎日新聞への統合を経て、戦後の1956年なって東西のコラム名が「余録」に統一されました。

 筆者は論説室で「余録」を2003年2月から今年3月まで19年間にわたって担当してきました。その間の執筆本数は4255本となりましたが、本書はそれから450本を選んでまとめたものです。

 19年間・4255本といっても「余録」の長い歴史を振り返れば、もっと長い期間にわたり執筆された先輩記者がいます。

 2002年まで担当されていた諏訪正人さんは1979年から23年間にわたって6300本以上を書かれました。

 さらにさかのぼれば、政治思想史家の丸山真男の父である丸山幹治という先輩記者は、実に25年間も筆を執り続けました。しかも驚くべきは、それが戦前・戦中・戦後をまたぐ激動の四半世紀だったことです。

 戦後になって毎日新聞も戦争をめぐる言論責任が厳しく問われることになりましたが、そんな時代の試練をものり超えることのできた丸山の「余録」だったのです。

 このような偉大な先輩たちに及びもつかない浅学非才の身で、伝統あるコラムを引き継いだのは身のほど知らずといわれても仕方ありません。ただゆき会った仕事に持てる力のすべてを注ぎ、日ごとに迫る締め切り時間に追われながらその時々の原稿を仕上げるうちに、気がつけば19年の歳月が過ぎていたというのが率直な感慨です。

 すでに古希を過ぎた身ですが、いざこの3月に「余録」執筆を退いてみれば、まるで玉手箱を開けた浦島太郎のようでした。身の回りを見渡せば人事異動の表にも知っている人の名は論説室関係以外にはほとんどなく、それどころか部署名すらカタカナ語だらけで何が何やら分からないありさまです。

 半ば呆然としながら自分の歩んできた道のりを振り返れば、今も鮮烈に思い起こされるのは、やはり11年前の東日本大震災、とりわけその直後の日々です。

 まさに未曾有の巨大津波による大惨禍と、原発事故による日本列島東半の壊滅の危機とが同時進行する修羅場でした。人命と社会の命運のかかった重大ニュースがあふれかえる中、それを報じるために少しでも紙面のほしい新聞の1面でした。

 そんななかで、あろうことか「余録(余分な記録)」――つまりはムダ話を名乗るコラムはいったい何を書けばいいのか? ほかの新聞の1面コラム記者もきっとそうだったに違いありませんが、まさにコラム書きには途方もない試練の日々でした。

 平均すると約10本のコラムから1本を選び出して編んだこの本ですが、2011年3月11日組の朝刊から続く7日間のものについては記事の出来不出来にかかわりなく掲載しています。それらは、コラム記者とは何なのかをいやおうなく自問し、自分なりの答えをその日ごとに胸に深く落とし込みながら書き上げてきた「余録」だったからです。

 もともとは見出しもなく、その日、その場限りで読み捨てられる新聞の匿名1面コラムです。しかし本書では掲載した1本1本に話題に即したタイトルと、取り上げたニュースなどを示す副題をつけて、読者の興味のおもむくままに拾い読みしてもらえるようにしました。

 ちなみに震災発生当初の7日間のタイトルと副題を掲げてみます。「鳥にあらざれば……/東北・関東に巨大地震」「キュクロペスの身じろぎ/福島第1原発の炉心溶融」「神はどこにいるのか/全容つかめぬ津波被害」「地震火事方角付け/震災とメデイアの試練」「アリアドネの糸/破れた『災厄封じ込め』」「上野山のハーモニカ/救援届かぬ被災地」「霧の中の危機/問われるリーダーの才」。もし本を手にされた方は続けて読んでいただければと思います。

 本書はまだ結末の分からない、しかも今後の世界のありようを左右するロシアのウクライナ侵攻をめぐるいくつかのコラムで最後を締めくくることになりました。これも新聞コラムをまとめた本にふさわしいオープンエンドといえましょう。

 同じ時代、同じ新聞作りに携わってきた方々が、この本を私たちがともに過ごしてきたかけがえのない日々を振り返るよすがにしていただければ、「余録」の担当記者としてこれに過ぎる喜びはありません。

(柳川 時夫)

 「毎日新聞コラム『余録』選 2003~2022」は毎日新聞出版刊 2400円(税別)

 柳川 時夫(やながわ・ときお)さんは1949年、神奈川県生まれ。73年、毎日新聞社に入社。論壇担当記者、書評欄や文化担当デスクなどを経て日曜版編集長、学芸部長、編集局次長。2003年から論説委員、論説室特別編集委員として1面コラム「余録」の担当記者となり、03年2月12日付から22年3月24日付まで、19年間にわたって同コラム4255本を執筆した。