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2024年3月4日

元毎日新聞労組委員長大住広人さん、TBSラジオで「国分寺」を語る

 嶌信彦さんがTBSラジオで毎週日曜日の午後9:30~10:00に担当している「嶌信彦 人生百景『志の人たち』」の3月3日放送に、大住広人さんが出演した。対談の相手は、嶌信彦さんと安田祐子さん。次回は3月10日。

 3月3日の放送では、嶌さんと安田さんの問いかけに答えて、「68跡 国分寺を歩く」を自費出版した経過、国分寺の成り立ち、取材の経過などを語った。本には書かれていないことを含めて、いくつか紹介する。

 国分寺跡の取材を思い立ったのは、1992年に毎日新聞社を定年退職して、九州・福岡に転居した時。まず九州の九カ寺跡を回った。その後、妻(敏子さん)の両親が群馬県沼田の老人施設に入所していたので、その生存確認を兼ね、九州からの往復約2000キロ、この間の各地の国分寺跡を巡った。

 国分寺は古代・聖武天皇の時代に、大和朝廷が平城京(奈良)の都(みやこ)から全国に支配を広げていくために、現在の県庁所在地周辺(旧68か国)に造られた。しかし東北は、仙台、山形にしかなく、北海道、沖縄にはない。

 全ては妻の運転だったが、ある時「運転は大変、隣りが免許を持っていたら気が楽なんだけど」と独り言を言った。そうかと思って、60歳の時に免許を取りやすいと聞いた佐賀県で取った。

 この日の最後に、嶌さんは「久しぶりに大住さんと会ったが、毎日新聞再建闘争時代の厳しい顔とちがっておだやかになった」と懐かしそうに語った。

 次回3月10日の後編は、東京五輪を前にした1961年にカメラマンとして毎日新聞に入社後、1960年代後半に大規模な学生運動を社会部記者として取材したときのエピソードや、その後、毎日新聞労働組合委員長として毎日新聞再建闘争に取り組んだ経緯などについて、当時の労組の同志でもあった嶌さんと振り返る。

(福島 清)