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2023年4月24日

「人をつなぐ 物語をつむぐ~毎日メディアカフェ9年間の挑戦」をカフェ責任者の斗ヶ沢秀俊さんが報告

カフェのファイナルイベントで講演する斗ケ沢さん

 毎日メディアカフェは2023年3月末、9年間の活動に幕を下ろした。2014年4月の設立以来、約1000回のイベントを実施し、延べ5万人以上の参加者が訪れた。活動内容の概要を以下に報告する。

 下野新聞社が宇都宮市内に「ニュースカフェ」を開店し、2013年の新聞協会賞(経営部門)を受賞したことをきっかけに、毎日新聞社内で、読者や市民と交流する場を開けないかと模索する動きがあった。採算が取れないという理由でとん挫したことを知った私は2013年12月、私が本部長を務める水と緑の地球環境本部と協力関係にあった市瀬慎太郎・イーソリューション社長に相談した。「水と緑の地球環境本部のオープンルーム(縦横約6メートル×6メートル)を毎日メディアカフェとして、一般の人が自由に入れるようにする。そこでは、時々、イベントを開催する。企業・団体に年間20万円の協賛金をいただいて運営する。協賛企業・団体には1年間に3回まで、毎日メディアカフェでイベントを実施することができ、イベントは毎日新聞東京都内版で記事掲載される」という基本骨格を2人でまとめた。経営会議に「毎日メディアカフェ」の企画書を提出した。経営会議で事業の意義と展望を話したところ、「5社以上の協賛を獲得したら開設してよい」との結論を得た。年間20万円という設定は、企業のCSR部門をターゲットにしたためだ。宣伝部や広報部などの部署に比べて、CSR部門の予算は少ない。これを考慮して、「CSR部門が出せる金額」にした。

 市瀬さんはアドバイザーを務めていたプレシーズ社にも協力を依頼した。私と市瀬さん、プレシーズ社員が協賛社集めの営業に回り、2014年3月中に8社の協賛を得て、同年4月の開設が決まった。4月8日のオープニングイベントでは、科学記者として人気の高い元村有希子記者に講演してもらった。

 当初、イベントは週に1、2回だったが、次々に企画が持ち込まれるようになった。毎日新聞記者が自身の取材や記事について語る記者報告会、シリーズ化された「元村有希子のサイエンスカフェ」、毎日新聞出版の新刊とタイアップした出版記念イベント、広告掲載と連動したイベントなど、会社関連のイベントのほか、協賛企業・団体のCSR(企業の社会的責任)活動、NPOの活動報告、東日本大震災被災地支援のイベントやマルシェ(市場)などがあった。

 新聞社は「情報、人や組織とのネットワーク、発信手段を持つ」という特性がある。私は毎日メディアカフェを「新聞社の特性を生かした、本業に根差すCSR」と位置付けた。

 毎日メディアカフェには、数多くの著名人が登壇した。ほぼ日刊イトイ新聞の糸井重里さんと物理学者の早野龍五・東京大学教授が「知ろうとすること。」(新潮社)の出版を記念して登壇した14年10月の「『知ろうとすること。』からはじめよう」は毎日ホール(定員180人)がすぐに埋まった(肩書・所属は当時、以下同様)。早野さんは後に、日本将棋連盟会長の佐藤康光さんとの対談(17年7月)も企画してくれた。将棋界では、「ひふみん」の愛称で人気の高い加藤一二三さんも新著「幸福の一手 いつもよろこびはすぐそばに」(毎日新聞出版)の出版記念イベント(18年12月)で講演してくれた。ジャズクラリネットの大御所である北村英治さんは85歳だった15年1月、当時コラムを連載していた「栄養と料理」誌の企画で登壇し、トークと演奏をしてくれた。今年の大阪府知事選に立候補して話題となった憲法学者の谷口真由美さんは毎日メディアカフェ教育シンポジウムで基調講演するなど、複数回登壇した。評論家・編集者の荻上チキさんも常連登壇者だった。

 イベントの内容は原則として、私が当日中に毎日メディアカフェのフェイスブックページに2000~3000字程度の詳報を掲載し、その後、毎日新聞東京都内版に40行前後の記事を掲載した。毎日メディアカフェは一般から提案された企画も、「社会的意義がある」「参加者に学びがある」と判断した場合は受け入れて実施した。

 協賛企業・団体には企業や商品の宣伝ではなく、CSR活動報告や参加者に役立つ情報提供をしてもらった。カシオ計算機の時計「Gショック」の開発物語は、「壊れない時計」という1行の企画書から始まり、研究室の3階から何千回も時計を落とす実験をしたという話が好評だった。日本労働組合総連合会はワークルールや教員の長時間労働などをテーマに、シンポジウムを重ねた。アラムコ・アジア・ジャパンはサウジアラビアの文化を知るシリーズ企画を実施した。2019年には、協賛企業・団体は32に増加した。企業・団体にとっては、容易にイベントを開催できて、その報告がフェイスブック、毎日新聞に掲載されるという、とてもコストパフォーマンスの良いシステムだった。

 記者報告会は、いくつかの種類に分けられる。一つは新聞協会賞を受賞した記者の報告会だ。2014年、「認知症のいま」をあぶり出し、社会を動かした渾身のキャンペーン「老いてさまよう」の銭場裕司記者に登壇してもらったのが最初だ。2017年に開催されたのは梅村直承記者報告会「新聞協会賞受賞 ボルトも驚がく 日本リレー史上初の銀」。2019年には、「強制不妊 旧優生保護法を問う」出版記念記者報告会が開かれ、2018年度新聞協会賞受賞のキャンペーン報道「旧優生保護法を問う」の取材班から、仙台支局の遠藤大志記者、生活報道部の上東麻子記者、医療福祉部の藤沢美由紀記者、地方部の栗田慎一デスクが登壇した。

 人気が高かったのは校閲記者報告会だった。最初は平山泉記者に登壇を依頼した。平山記者はわざと間違いを散りばめた1面ゲラを用意し、参加者に校閲体験をさせるワークショップをして、参加者から絶賛された。この後も、複数回の校閲記者報告会が実施された。本の出版を機に記者報告会を開いた記者も何人かいる。この中には、1945年8月18日に横浜市のカトリック保土ヶ谷教会で、神父が射殺死体で発見された未解決事件を取材した「封印された殉教」(上下巻、フリープレス社刊)を著した佐々木宏人OB記者報告会「神父射殺事件を取材して見えてきたもの」(2019年6月)も含まれる。78歳での登壇だった。

 大きな話題を集めたのは記者報告会「SMAP紙面と編集記者の仕事」(2016年2月)。 報告したのは、毎日新聞東京本社情報編成総センターの佐々木宏之記者と塩崎崇記者。「SMAP解散か?」のニュースが流れた1月13日、スポーツ面を担当していた佐々木記者と塩崎記者は、SMAPのヒット曲名を見出しにあしらうことを考え、「青いイナズマ」「らいおんハート」など計8曲(地域によっては9曲)の曲名を、14日朝刊スポーツ面に散りばめた。この紙面は「SMAPへの愛情に満ちあふれた紙面」として、SNSで拡散され、多くのテレビ番組で取り上げられた。2人は曲名を散りばめた経過を語った。この報告会を詳報したフェイスブック記事は2万人以上に拡散された。

 私が福島支局長経験者(2005~07年)だったこともあり、東日本大震災被災地支援イベント、特に福島県関連のイベントを多数実施した。菅野典雄飯舘村長、ラジオ福島元アナウンサーの大和田新さんなどに来ていただいて話をしてもらった。

 毎日メディアカフェ登壇者は原則として、謝礼なしだった。「毎日メディアカフェを利用して交流・発信をしたい人に、無料でシステムを提供する」との考え方にしていた。もちろん、イベントごとに謝礼を払う余裕がなかったことも背景にある。それでも、登壇希望者は数多くいた。2017~19年は、年間150回のペースでイベントを開催した。

 しかし、コロナ禍で状況は一変した。オンライン開催に取り組んだものの、イベント回数は激減した。打撃になったのは、協賛企業・団体が離れていったことだ。イベントを開催できないなら、協賛の意義がない。協賛企業・団体は3分の1になり、収支は悪化した。社内では、新規事業見直しの動きが出ていて、2022年12月から23年1月にかけて、毎日メディアカフェも見直しの対象となった。私は意義を主張したが、事業の将来性が疑問だという判断になり、経営会議で毎日メディアカフェの終了が決まった。

 毎日メディアカフェから生まれた「学びのフェス」という事業がある。2014年に始めたイベントで、企業・団体の出前授業を集めたイベントだ。毎年春夏の2回開催で、コロナ禍により4回中止したが、「学びのフェス2022春」から実践女子大学渋谷キャンパスを会場に再開した。私の最後の仕事となった「学びのフェス2023春」には親子1400人が集まり、盛況だった。幸い、学びのフェスは意義と将来性が認められ、存続になった。

 毎日メディアカフェの9年間は私にとって、夢のような9年間だった。毎日メディアカフェによって、多くのつながりが生まれ、物語がつむがれた。マスメディアへの厳しい意見がSNSで多く語られる中、毎日メディアカフェの取り組みは多くの方から評価してもらった。毎日メディアカフェは毎日新聞社の「開かれた新聞」を具現化する試みだった。それはいったん途絶えることになったが、こうした取り組みはいずれまた、必要になるに違いないと確信している。

(斗ヶ沢 秀俊)

斗ヶ沢秀俊さんの略歴
 1957年、北海道赤井川村生まれ。東北大学理学部物理学科卒業、1981年毎日新聞社入社。静岡支局、東京本社社会部、科学環境部、ワシントン支局、福島支局長、科学環境部長、水と緑の地球環境本部長、健康医療・環境本部長を歴任。2014年毎日メディアカフェを設立、責任者を務める。2023年3月、定年退職。