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2023年3月6日

テレビ出演が増えている『オッサンの壁』佐藤千矢子論説委員

 写真は、BSTBS「報道1930」の画面を写したものだが、月刊「文藝春秋」3月号の有働由美子さんとの対談が面白かった。ダイジェストしましょう!。

 見出しは、ズバリ「私自身がオッサンでした」。

 有働由美子 (『オッサンの壁』講談社現代新書の)本の帯に〈全国紙初の女性政治部長が克明に記す「男社会」のリアル〉とありますが、私も拝読して「わかるわかる!」と2㌻に1回は頷いていました。

 佐藤千矢子 2017年に政治部長になる前から、全国紙でも社会部や外信部には過去に女性部長がいました。私は「オッサン」を男性優位の現状を維持しようとする人と定義していますが、とりわけ全国紙の政治部にはオッサンが多く、なかなか女性初が出なかったんです。

 有働 佐藤さんは1987年に名古屋大学卒業後、毎日新聞社に入社。初任地は長野支局で、ワシントン特派員時代にはアフガニスタン紛争やイラク戦争、米大統領選挙も取材され、政治部では首相官邸キャップなどを歴任された。

 佐藤 3年半のワシントン特派員生活を終え、東京の政治部に復帰してから外務省、与党の各キャップ。次に2006年から07年までの第1次安倍政権で首相官邸キャップを任されて。同じ経歴を歩んできた男性記者の先輩たちがたどったルートから、次はデスクに上がるかなと思っていたのですが、川崎支局長に異動を命じられたんです。

 有働 政治部を外れたことがあったんですね。

 佐藤 首相官邸キャップが地方支局長に出るのは、それまでなかった異例の人事でした。当時の部長から辞令を言い渡されたとき、唐揚げ定食を食べながらポロポロ泣きました。

 佐藤 「ガラスの崖」と言って、困ったときにリスクが高い役割を女性登用の名のもと担わせて、その“女性初”が成功すればもうけものだし、失敗すれば「やっぱり女性はダメだ」と言って崖から突き落として使い捨てにしているんですよね。

 有働 数々の「オッサンの壁」を乗り越え、政治部長になられたわけですね。なぜ佐藤さんは旧体質の中で政治部長になることができたと思われますか。

 佐藤 恥ずかしながら、私自身がオッサンだったからです。

 有働 えっ、それはどういうことですか?

 佐藤 昔は女性記者には2つの道しかなかったんです。1つは、完全にオッサン化して男性と同じように働く道。もう1つは、体力的にきつかったり家庭を大事にしたりすると、「文化・暮らし関係の別の仕事をするのは認めるけど、出世は望まないでね」と別のトラックに移される道。

 有働 なぜ「オッサン」の道を選ばれたのですか。

 佐藤 もし私が結婚して子どももいたら、ここまで男性と同じようにオッサン化して働く道は選ばなかったと思います。でもたまたまそうではなかったので、男と同じように競争してみようと考えたんです。「女性登用が進まないのは女の能力不足や努力不足じゃない。登用しない方の問題だ」と主張したい。そのためには男性と同じように働けると体を張って証明しなくてはいけないと、若い頃の私は考えてしまったんですね。ジェンダーの研究者からは怒られそうですけど。

(堤  哲)