元気で〜す

2024年2月8日

元学生新聞部・宮田貞夫さん(89)が編集担当の「中田かわら版」200号に

 元学生新聞編集部の宮田貞夫さんは、横浜市泉区で発行している地域広報紙「中田かわら版」の創刊号(2007年)から編集を担当しています。今年2月号で通算200号になったのを機に、1面に特集記事が掲載されました。宮田さんの了解をいただいて、編集長・松本正さんの記事全文を紹介します。

(福島 清)

■この人に会いたい<74>

 90歳、なあに、これからさ!
        「中田かわら版」制作編集委員会委員長 宮田貞夫さん(89歳)

 宮田さんは今までに37人の「この人に会いたい」を書いてきました。しかしながらご自身が書かれることには強く固辞されていました。今回は「中田かわら版」が200号を迎える事で、編集委員全員の願いを受けてくれる運びとなりました。いざ原稿をとペンを取ってみたものの、僅か1ページでは尊敬と賞賛の語句を並べるだけで紙面が一杯になってしまうことに気付きました。数々の実績を残しつつ、今もなお精力的に活動を続けている宮田さんの主要な部分を紹介させていただきます。

 1934年 横浜市鶴見区で出生。1953年 毎日新聞本社へ入社。印刷。写真製版部から学生新聞記者へ。1990年 退職と同時に(株)モリサワに入社。フォント(書体)開発に従事。1995年退社。1971年から地域でスポーツ(体育指導委員)、歴史、福祉、環境などで活動しています。1975年 市立葛野小学校の校章を制作。1980年 市立汲沢中学校の校歌を作詞。

 意外と知られていないのが下記5誌は創刊号から携わり、今も主幹であったり表紙も体裁も殆ど変わることなく、長いもので50年前から継続しているのもあります。

 ◎「ふるさと中田」1977年 中田連合自治会10周年記念誌、現在5号。◎「郷土いずみ」1995年 「泉区歴史の会」会報現在29号。◎「あやめ」1997年 泉区老人クラブ連合会会報。◎「中田かわら版」2007年 地域広報紙 現在200号。◎「泉区ボランティアネットワーク通信」現在31号。

 この他に創刊号関連として「とっても泉」「泉区・介護と私たちの記録」。以上は泉区依頼。「お官の森のガキ大将」中田ボーイスカウト25周年記念誌、「変遷の譜」中田社協20周年記念誌など。

 また、宮田さんは中田の歴史や遺跡などにも、足で調べ写真を撮りながら書き上げています。

〇「中田の歴史記念物」 庚申塔、山神社、双頭道祖神、中田寺の今昔、御霊神社と鎌倉権五郎景政、馬頭観世音など10回連載。〇「わが町なかだの今、むかし」(上、中、下)〇中田創生の3偉人「宮本湊(いたる)。香川隆法、奥津喬次郎」〇「村岡川」か「宇田川」か。村岡川の12橋について(村岡川の名称復活を望む)。〇2015年 エッセイ集「歴程」(こころの中の中田50年)上梓。この他にも新聞、雑誌など多くの投稿が採用され掲載されています。

 趣味は映画、演劇、音楽、レタリング、カラオケなど幅広く、しらゆリコーラスグループでも活躍中。人生100歳時代を象徴するかのように、昨年11月には息子さんの住むアメリカヘも行ってきました。軟式野球とソフトボールで鍛えた脚で愛用の自転車に跨り今日も中田の町を跳び回っています。

<宮田さんの詩を紹介します>

 『デイサービス(母の想い出)』(「歴程」より抜粋=2003年4月29日 宮田貞夫作)

 母が嫌がったデイサービスを/初めてすすめたとき/「デンサービスって何だい」と/なんども聞き返した母(中略)/まあいいさ でも頼むから/一回だけ行って欲しいオレも行ってみたい!/冬がきて 赤いマフラーを首に巻き/春がきて香水を耳朶につけ/夏がきて髪を梳かして逝った母