元気で〜す

2023年10月20日

社会部ロッキード事件取材班が、元気な98歳の元社会部長、牧内節男さんとともに

 あれから47年。ロッキード事件取材班が4年ぶりに元社会部長、牧内節男さんを囲んだ。10月18日、市ヶ谷の中華料理店。中央牧内さん、その右63入社澁澤重和、左同吉川泰雄、後列右64入社寺田健一、左68入社中島健一郎、前列右65入社板垣雅夫、左64入社堤哲(敬称略)。

ロ事件を語る牧内さん

 98歳、牧内さんが元気だ。「寝てばっかりいるんだ」と言うが、「ボケ防止に俳句を毎日一句つくっている。あと時代小説を読んでいる」

 ロ事件取材班のキャップだった澁澤さんに向かって「キミのこと夢でよく出てくるんだ。昭和女子大でしゃべったことをよく思い出す。1時間半くらい話したのか」。

 澁澤さんは昭和女子大の教授をしていた。女子大生にジャーナリズムの実際を教える講座だったのか。「講演録をお送りしましたよね」と澁澤さん。

 「あと平正一さんが時々出てくる。下山事件のときのデスクだ」

 牧内さんは、1949(昭和24)年、東京本社社会部が振り出しだ。下山事件はその年の7月5日に発生した。国鉄総裁下山定則が出勤途中に失踪、翌6日未明、轢死体で発見された。

 《入社早々のサツ回り記者全員がこの事件に駆り出された。他社が「他殺説」を唱える中、毎日新聞のみが「自殺説」を報道。警視庁史も「自殺」と記している。「下山事件」は私にとって取材の原点となった》

 《平さんは昭和42年1月16日、リンパ腺腫のため死去、62歳であった。不肖の部下は同じ血液がB型というので慶応病院に入院されていた平さんに輸血したのが只ひとつの恩返しであった。だが身をもって教えていただいた「真実と事実の違いは大きい」の教訓は拳拳服膺している。平さんの墓には「かたくなと人はいふとも一本のすがしき道をゆきて死にき」とある。熊本県出身、古武士の風格を持った新聞記者であった。そのような先輩の部下であったことを誇りに思う》

 これは、牧内さんのブログ「銀座一丁目新聞」https://ginnews.whoselab.com/から。

 自宅近くに府中競馬場。「最近、スポニチの予想はよく当たるよ。メモして出掛けるのだが、競馬場で心変わりしてメモと違う馬券を買ってしまう。それと当たり馬券を換金するのを忘れてしまう」と言って、財布から馬券を取り出した。「2万円以上ある」

 新聞もよく読んでいる。「新聞はニュースだよ。5W1Hを入れながら、読者に感銘を与えるものが必要なんじゃないか」と、1面つぶして読み物の今の紙面を批判した。

 ロ事件の思い出話も当然出た。『毎日新聞 ロッキード取材全行動』(講談社77年2月刊)は澁澤キャップ命で取材に関わった記者が書いたものを、瀬下恵介さん(2021年没82歳)がアンカーとなった。

 「1万部で絶版になった。何冊も持っていたが、人にあげて、今1冊もないんだ」

 「あの本を読んで毎日新聞に入社した記者が結構いる」と澁澤さん。

 田中角栄元首相逮捕の朝、泊キャップは吉川さん。前夜に「上中里に気をつけろ」というタレ込み電話があって、サツ回りの飯島一孝さん(71入社)が秘書の榎本敏夫宅へ。

 「午前6時27分、地検の係官が入りました」と飯島さんから。次いで地検担当高尾義彦さん(69入社)から「角栄が地検に入った」。その一報を受けたのが中島さんだった。

 思い出話は尽きない。最後に記念撮影をして「また来年、会いしましょう!」。

 車で帰る牧内さんに「奥さま、さだ子さんによろしくお伝えください」と声を掛けると「アイツが元気で困るんだよ」と嬉しそうにいった。 さだ子夫人は95歳。元写真部の米津孝さん(52入社)と愛知県岡崎市の小学校同級生というから不思議な縁だ。

(堤  哲)