元気で〜す

2023年9月22日

元中部本社代表・佐々木宏人さん ある新聞記者の歩み 31 深夜飛び込んできた美空ひばり死去の報 朝までひばりの歌を大合唱 抜粋

 (インタビューはメディア研究者・校條 諭さん)
  全文は https://note.com/smenjo/n/n03e180f4070d?fbclid=IwAR3BSMzDsjBrGrrtisW1pbQUfWQaVy-ZCtholcBwdjC8a6t6QxteA-afMHs

佐々木さん夫妻の近影

今回は1991 (平成3)年4月から2年間の経済部長時代の後編です。

 目次
◆突発事件で血湧き肉躍る
◆予定稿もぬかりなく
◆人事予想はタクシー運転手に聞け?!
◆社の前の屋台で、あるいは、社内の冷蔵庫のビールで
◆美空ひばり死去のときは、朝まで局長席後ろのソファーで大合唱
◆朝まで飲んで、交番会議で起こされ・・・でもちゃんと原稿書けばOK
◆不正融資の銀行広報部長が編集局に乗り込んできた
◆差別問題に直面
◆組織運営に神経を使った2年間

=以下抜粋

◆美空ひばり死去のときは、朝まで局長席後ろのソファーで大合唱

 ぼくが今でも覚えてるのは、部長になる2年前、美空ひばりが亡くなった時(1989(平成元)年6月)のことです。当番デスクだったと思いますが、朝刊の締め切りぎりぎりの午前零時過ぎに死亡ニュースが入ってきたのかな。編集局の学芸部のぼくの同期の音楽担当のK君が、美空ひばりのテープを持ってきてかけたのかな。

 締め切り後、局長席の後ろのソファーに、経済部、政治部、社会部、学芸部などの当直デスクと、ヒゲのTBSのニュースキャスターとして有名だった政治部の岸井成格(しげただ)とかで、もう飲みながら編集局中聞こえるくらいの大声張り上げて歌った記憶があります。朝までね。誰か美空ひばり全集なんていう本まで調査部から持ってきてね(笑)、美空ひばり追悼だって⋯⋯。わんさかわんさか歌った覚えがありますよ。

Q.聴くだけじゃなくて歌った?

 みんなで歌うわけ。「東京キッド」だとかさ、〽一人酒場で飲む酒は---「悲しい酒」だとか、〽かみの乱れに 手をやれば---「みだれ髪」、「愛燦燦(さんさん)」だったかな。わんわん歌ったことがありましたよ。

Q.なんか光景が目に浮かぶようですね。

 でもそういうところが新聞社らしい、すごくぼくは好きでしたね。恐らく普通の会社では認められなかったんだろうけど、ちょうど、その半年前、昭和天皇が亡くなられて、ぼくたちと同じ昭和を生きた美空ひばりも亡くなったという“昭和の時代の終焉”を悼む気持ちになったんでしょうね。夜中に酒を飲んで、社内で大声で歌を歌ったりするなんて、なかなかほかの会社じゃできないだろうけど、いい思い出ですね。

六車護著『名スカウトはなぜ死んだか』

 東日本大震災が起きた時、不謹慎だけどまず最初に思ったのは「みだれ髪」に出てくる、何回か行ったことのある福島県いわき市の「塩屋の岬」にある灯台と、美空ひばりの記念碑あるんだけど、それが津波でどうなったかということだったな。

Q.なんだかグッとくるお話ですね。そのあたり、昨今は多少変わっているんでしょうか?

 どうなのかよく知らないけども、酔っ払いでは有名な人物は多かったですよ。文字通り“酔虎伝”にはこと欠かかないな。経済部の六車(むぐるま)護君って、高松一高から早稲田の野球部出身、それもピッチャーやってました。伝説では、歌川令三経済部長が社内野球で経済部が不甲斐ない成績なので、そのために運動部からスカウトしたという。だけどこの六車君の投げたボールをだれも受けられない(笑)、アルバイトだった今の社長の松木君が、キャッチャーをやってようやく受けられたいう話が残っています(笑)。

 この六車君っていうのがすごい大酒のみだったんですよ。あと、同じ四国出身の首藤(すどう)宣弘君で、ユニークな記者で少年自衛官出身、大検を受けて早稲田に入った。その首藤君は、ぼくが大蔵省記者クラブにいた頃、一度も会ってもいない大蔵省の国債課の課長補佐と毎日、延々電話でやりとりしていたという話を確か以前しました。(第19回)。

=以下略