元気で〜す

2023年3月22日

元運動部、学芸部などの鈴木志津子さんが、逆風しのぎ「音訳ボランティア」

指導者講習の仲間と井の頭公園を散策。左から2人目が鈴木さん

 1995年1月、阪神淡路大震災が発生した時、全国各地から大勢のボランティアが駆け付け、ボランティア元年といわれるようになった。

 私も定年後は何かボランティアをして少しは人の役に立ちたいと思った。でも、私にできるボランティアがあるだろうか?私は股関節脱臼で3歳まで歩けず、運動能力は著しく遅れた。7年前に人工股関節にして、以前よりは歩けるようになったが、歩き過ぎや重いものを持つのは好ましくない。事務能力はからきし。

 “オンヤクボランティア”という言葉を、いつどこで聞いたか覚えていないが、私はその言葉を聞いた途端、「音訳ボランティア」だと思った。目の不自由な人のために本を読んで差し上げるのだろうと確信した。それなら私もできる。よかった!定年後の活動目標が決まった。安心した。

 定年後、区報(葛飾区)に「音訳ボランティア養成初級講座の受講生募集」という記事が載った。音訳ボランティアとは、視覚障碍者だけでなく、文字情報にアクセスすることが困難な人(例えば手が不自由なために本のページをめくれないなど)のために録音図書を作ったり、対面で本を音読するボランティアだ。私は今、地元ではなく、墨田区の図書館に登録して細々と音訳をしている。

 録音図書は、著作権の関係で勝手に作ることはできない。できるのは公立図書館、点字図書館、国会図書館や認証を受けた団体だけで、そこから依頼を受けて音訳者は活動する。読み間違いは、利用者に悪いだけでなく、著作物を勝手に改ざんすることになるのでいけないといわれる、なかなか厳しい世界でもある。

 講座が終わるとボランティア・グループから勧誘の案内があった。葛飾区には当時2つの音訳グループがあった。1つは100人近い大所帯だった。見学した折り、新米の自分には当分仕事など回ってこないのでは、と思った。もう一つはそこから分派してできたばかり。メンバーは女性3人と極端に違う。代表はいい人そうだがちょっと頼りなく思えた。もう一人はベテランのようだ。あと1人は校正専門で区外に越し、データのやり取りでこなしている。比較的若い受講生の3人が入会するというので、私もそちらに入会させてもらった。

 ところが、ベテランの女性は、今回の読みを引き受けたので当分勉強会には出られないという。若い新人も子育てやパートなどで欠席がち。新年度になると、代表は体調が悪いのでと、会の解散を宣言した。呆然としているところに“ベテラン女性”から電話があり「どういうことか」と聞かれた。説明すると、代表の悪口をさんざん言ったうえで「貴女はどうなのか」と言う。私は「やりたい」と答えた。私は名ばかりの代表となり、雑用を引き受けた。初級講座終了時に勧誘するよう言われ、3人の新人を獲得した。

 初めての顔合わせで、初級講座のテキストにあった短いエッセイを読んだ。勉強したものだから3人とも大過なく読んだ。最後に先生が読み、いきなりかんだ。彼女はあわて、マイクに八つ当たりした。名人でも初見では失敗してもおかしくはないと思う。だが彼女は「もうやれない」と言ってきた。私がなだめればなだめるほど彼女は私を攻撃した。私は、3人に同じ失望を味合わせてしまったのが心苦しかったが、会を清算した。

 一方で、都の初級、中級、上級講座を受講し、点字図書館の指導者講習会(2013年)も受講し、講座の講師を務めた墨田区立図書館の担当の人に連絡し、以来、墨田区立図書館で仕事をさせてもらっている。墨田区ではボランテァは個人登録なのだ。

 厚労省のホームページでは、ボランティアについて「一般的には自発的な意思に基づき社会に貢献する行為。有償、無償がある」とある。それゆえ、意思の疎通は難しいのだ。

(鈴木 志津子)

鈴木志津子さんは運動部、学芸部などに所属し、2005年退職。