集まりました

2022年5月25日

〆は「信濃の国」の大合唱!他社の記者も参加して「長野会」

前列左から朝日新聞大熊一夫、小川悟・晃子夫妻、故堀一郎・美根子夫人、堤哲。後列左から大島幸夫、産経新聞佐藤実、中島健一郎、黒岩徹、元農協広報飛田紀久子、堤てる江、黒岩千鶴子、読売新聞寺村敏、信濃毎日新聞永楽達雄(敬称略)。

 長野会を24日(火)、日本記者クラブで開いた。1960年代に信州で駆け出し時代を送った仲間たち。他社を含め参加14人。前回が2020年1月。昨年はコロナ自粛で、2年ぶりの開催だった。

 63年入社大島幸夫(6月で85歳)。三河島事故で重傷を負い、病床で毎日新聞社会部記者の取材を受けた。写真入りの記事が社会面トップを飾り、それがきっかけで大洋漁業を辞めた。

 63年入社はもうひとり、堀一郎。2019年78歳で亡くなった。夫人の画家堀美年子さんが参加した。

 64年入社は黒岩徹と堤哲。ともに夫人同伴。最若手が68年入社の中島健一郎。

 それに小川悟(9月で85歳)晃子夫妻。この毎友会HP2022年4月11日付トピックス「日本初・藤本英雄投手の完全試合のゲーム写真はないのだが…」に、小学生の晃子さんの写真が載っている。1950年6月28日青森市営野球場で行った巨人vs西日本パイレーツ戦は、晃子さんの父親がスポンサーになって招いたのだ。

 毎日新聞関係は、以上9人。常任幹事・長崎和夫(66年入社)は、病院の日程と重なり、会場を手配して欠席した。

 他社はいずれも63年入社。朝日新聞大熊一夫さん。ルポ「精神病棟」が朝日新聞夕刊で連載を開始したのが1970年3月5日だ。

 「2年半前心臓の大手術を受け、何とか生き返りました。今映画を作っています」

 朝日と毎日は、かつて長野支局が隣り合わせだったこともあり、野球の定期戦をやっていた。朝日のもうひとりの63年入社は東大野球部OB天野昌紀。神宮球場4年間で放った安打64は、東大野球部の最多安打記録で、20年間破られなかった。

 投手は毎日大島幸夫、朝日大熊一夫だった。

 読売新聞寺村敏さん。松本深志高校から明大工学部。「オヤジが読売で、原子力が分かる学生として入社したんだ。今は劇団四季とかバレエの記事を書いています。現役です」

 産経新聞佐藤実さんは初参加。「長野から水戸支局、本社整理部から夕刊フジ。女房は信濃教育会に勤めていましたが、10年前に逝かれてしまった。今は毎日30キロ歩いています」

 信濃毎日新聞永楽達雄さん。お坊さんになっていて、新宿瑠璃光院の副住職・永楽達信である。YouTubeで法話が拝聴できる。「ことし沖縄返還50年ですが、沖縄には『ぬちどぅたから』という言葉があります。『命こそ宝』の意味です」。法話が始まった。

 永楽さんを紹介する記事が「週刊朝日」に掲載され、永楽さんは前回の「長野会」から参加し、その飲み仲間の佐藤実さんに繋がった。

 新聞記者ではないが、もうひとり元農協中央会の広報担当・飛田紀久子さん。早大政経卒のマドンナ。私(堤)と同級生。担当でもないのに農協中央会詣でをする記者が何人もいた。58年前の話だ。「実はオレも」と読売寺村さんが明かした。

 「信州に乾杯しよう」。今回の集まりの言い出しっぺ黒岩徹が会の始まりの音頭をとり、そして最後は「やはり『信濃の国』でしょう」と黒ちゃん。転調になる前の3番まで合唱、大島幸夫が「フレーフレー長野会」のエールで締めた。

(堤  哲)