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2020年10月22日

続・ユートピア「土太郎村」訪問記 ― 牧内節男さんの「銀座一丁目新聞」10月20日号から

 毎日新聞社会部時代の友人4人でロッキード事件の取材仲間中島健一郎君の千葉県市原市山口の「土太郎村」を訪れた(10月14日)。中島健一郎君ら有志は10年ほど前に

1、新しい生き方の追求
2、地産地消
3、エコフレンドリー
4、直接民主主義

を目標にしたコミュニティの目標を掲げ、市原市の10万坪に『土太郎村』を計画した。現時点で100軒余がコミュニティを形成、フレンドリーに生活をエンジョイしている。中島君から以前から土壁の家(地産地消の木、土、砂、藁の家)で歓談しませんかと誘われていた。やっと数年ぶりが実現した。この日、予め決めた時間に板垣雅夫君、堤哲君、牧内が東京駅南口に集合、午前10時発の東京駅八重洲口の高速バス・安房小湊行に乗車、市原鶴舞バスターミナルで下車(1時間余)、迎えの中島君の車で土太郎村へ。千葉県習志野に住む寺田健一君は自分の車で直行した。

 土壁の家というが窓ガラスがいっぱいの瀟洒な建物であった(写真参照)。2世帯分が十分入れる設計であった(75坪)。入り口では靴を脱いだ部屋がキッチンリビングであった。まず暖炉を燃やしてくれた(別に床暖房の設備もある)。燃料は木材。大工さんが持ってきてくれるのでふんだんにあるという(写真参照)。此処の住人は彼一人である。昨年音楽家であった奥さんを亡くしたばかりである。そこで晴天は女性たちとハーフゴルフ。雨天は読書で過ごす。昼食は野菜タッぶりのスープと焼き肉であった。ス―プが実に美味しかった。食後、雑談に話が咲く。話はロッキード事件にゆく。昭和51年7月27日朝、田中角栄元首相が逮捕された。毎日新聞は朝刊でその逮捕を暗示させる『検察重大決意…』のニュースを一面トップで報じた。そのソースは誰だったのかと話題にでる。当時の裁判所のキャップ・山本祐司君がなくなっているのでわからない。「ナゾ」として残しておくほうがより特ダネの価値が増す。

 村を案内してもらう。電柱はすべて埋蔵である。人造湖もある。外国人の家もある。落ち着いた雰囲気が漂う。穏やかでのびのびした感じである。感染者289名(1月18日)を出している私が住む府中に比べるとユートピアである。此処にはコロナ後の世界があるような気がする。『国境の壁』をなくした豊かな自然の村を予感させる。中島君自身は近い将来、ミニゴルフ場の芝居の上に設えた仮設の劇場でイタリアのオペレッタを上演する夢を見ている。定期的にイベントを行い『土太郎芸術祭』として売り出せばよい。夢は色々広がる。

 板垣君に感想を聞くと次のような返事がメールで来た。『緑に囲まれた家の窓から外を眺めながら「日本のようで日本でない。外国のようで外国でない」という、漫談もどきの言葉を思い付きました。そのことを昨夜、中島健一郎さんへの感謝メールに入れたところ、「さすが鋭い感想。私は地球には国家はいらないと思っています。土太郎村は、日本でも外国でもない地球の村を目ざしています」との返信をいただきました』とあった。

 板垣君の感想は続く。『もう1つの率直な感想は、45年前ほど前、長野支局から東京へ転勤してきたばかりの中島健さんが、「僕は都会育ちなので朝、目ざめて窓の外を見て、ビルが見えないと落ち着かなかった」と言っていたことを思い出したことです。私は田舎育ちでしたので、まったく正反対なのですが、都会育ちは、そんな思いを抱くのか、と意外な感じを受けました。ところが、そんな根っからの中島シティボーイが、今は、窓の外に延々と続く緑の土地に執着し、どっぷりと浸っているわけですから、人は変われば変わるものだと驚いています。標高110メートル余の丘陵地帯、窓の外の一面の緑。小さくてきれいな湖は、東山魁夷が描いた長野県の湖の日本画の世界そっくりだと感じました。ビレッジの中のミニゴルフ場、同じような色に統一されて点在する住宅。とにかく、どれもこれも魅力的なうえ、自分が今までに見た風景とはまったく違うものがあり、そこにいる人々の生き方も、私には分からないが、違うのだろうな、とも感じました』。

窓ガラスがいっぱいの瀟洒な建物

牧念人 悠々