集まりました

2019年8月2日

阿部汎克さんを偲ぶ会に86人

 「温かい人でした」「包容力がありました」「優しく相談に乗ってくれたのが忘れられません」

 スピーチに立つ皆さんが異口同音に穏やかな人柄を懐かしみました。2019年1月13日、87歳で亡くなった阿部汎克(ひろよし)さん。真夏の8月1日、日本記者クラブで開かれた偲ぶ会に86人が出席しました。毎日新聞の同僚、後輩だけでなく、退職後、阿部さんが力を入れた国際交流、文化交流の知人や教え子たちも集まりました。

 まず献杯に立った平野裕さんは1953年の同期入社だった阿部さんの仕事を詳しく紹介しました。

 続いて家族が振り返る阿部さんの生涯が圧巻です。語り手はフランス在住の長女、淳子さんとイギリスで暮らす二女の菜穂子さん。自宅で古いトランクを見つけ、何かと思って開けると戦後間もないころのノートや日記、卒業論文が詰め込まれていたそうです。スクリーンに写真やノート、通信簿などの資料が次々に映し出されました。戦国時代から代々医師だった家に生まれ、ランボーに傾倒する文学青年だった若い日々を淳子さんが説明します。毎日新聞記者時代の活躍ぶりは、同じ記者の道を進んだ菜穂子さんがやはり写真とともに語りました。中部報道部、東京社会部、サイゴン特派員、ジュネーブ支局長、論説副委員長と多彩な仕事が浮き彫りになりました。二人のお孫さんが「じーたん」の思い出を語ると、大きな拍手に包まれました。

 会場には阿部さんの書いた記事や取材メモ、スクラップブック、著書が並び、読みふける出席者もいました。

 外信部で一緒に仕事をした黒岩徹さんが特派員時代の裏話を披露すると、やはり外信部の後輩、永井浩さんが長い付き合いで教えられたことを話しました。元国際交流基金で跡見学園女子大学教授、小川忠さんは国際交流の現場で阿部さんの言葉に励まされた人がたくさんいたことを紹介しました。

 阿部さんはさまざまな学びの場に集う若い人の面倒をよく見たようです。インターカルト日本語学校の教員養成講座で阿部さんの指導を受けた教え子4人も、口々に「先生」と呼びかけ公私にわたり学んだ日々に感謝しました。

 最後にあいさつされた奥様の昭子さんによると、晩年のある日「何人集まるかな」とつぶやいたそうです。

 阿部さん、ご心配には及びません。阿部さんの思いと願いはご家族、教え子、後輩に引き継がれています。

(中井良則)