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2018年8月13日

定位置に夫と茶筒と守宮かな「池田龍夫さんを偲ぶ会」

 故人にふさわしく「笑い」と「議論」で賑やかにすすめられた「池田龍夫さんを偲ぶ会(2018・7・13 パレスサイドビル・アラスカ)」も終わるころ、しみじみとした真実が披露された。愛しあっていた夫婦とは「そういうものか」。

 いま、人気絶頂の俳人「池田澄子さん」(池ちゃんの奥様)が、総合誌「世界」の<岩波俳句>欄(2018年7月号)に書いた一文……

 『(夫は)逝く時点で老人であったけれど、若いときを私はよく知っている。逝ったことで、若い日のその人が私に甦った。その人の死は久しぶりに、若い時のその人に再び逢わせてくれた。』

 そして、<岩波俳句>選者でもある澄子さんは夫を思う追悼句を三句。

 ◇初恋のあとの永生き春満月
 ◇定位置に夫と茶筒と守宮かな
 ◇屠蘇散や夫は他人なので好き 澄子

 澄子さんの「俳句論」は、知識を表に出さず、かっこよくしようとせず、自分の思いそのものを書かない……普通の言葉でつくる、というものである。この三句をスマホで撮影したり、手帳にメモる出席者が多数いた。「池ちゃん」の見出しは奥さんの言葉がヒントになっていたんかな? 

 会の冒頭、献杯の音頭をとった昭和28年入社同期の平野裕さんが「入社式の前々日にあった見習生のディスカッション」のエピソードを紹介した。議論のテーマは4月2日付け朝刊社会面トップを飾った客船ウイルソン号甲板上の皇太子(現・天皇陛下)の特ダネ写真(当時は異例の5段扱い)についてどう思うか? その時「池ちゃん」だけが「愚にもつかない特ダネだ」と決めつけたそうだ。かの特ダネ写真は毎日新聞の伝書鳩のみが他社の伝書鳩がすべて行方不明になった中、唯一、野島崎沖合を航行中の船舶に(疲れ果てて)羽を休めたところを船員が見つけ下田通信部に届けた。当時は「超優秀な毎日新聞の伝書鳩」と讃えられ話題を呼んだ。「池ちゃん」は伝書鳩には目もくれず、皇太子(エリザベス女王の戴冠式に出席のため渡航)に触れた。ハナから「左っぽい男?」を証明していたんである。

 「池ちゃん」は「新聞社ほど他業種には厳しく自社製品には甘い」……新聞社の驕りと間違っても訂正記事さえ出せば許される、という意識が潜んでいる、と言い続けて来た。

 天野勝文さん(元毎日新聞論説委員、元筑波大学教授、元日大教授、メディア研究者。84歳)のスピーチが会場の耳目をひいた。

 「昭和60年、池田さんの定年後30年。ジャーナリズム観をほぼ同じくする同志として併走、毎日OBでは最も濃密なお付き合いをさせていただきました。池田さんは自ら実証的な新聞研究と位置付け、活字媒体やネットメディアへの旺盛な執筆活動……その膨大な量は圧倒的壮烈です。中学3年で終戦を迎えた戦後民主主義の輝かしい部分を一身に浴び、左派社会党・日教組路線と……時に煙たがる後輩もいたようですが、池田ジャーナリズム論を毎日新聞整理部のDNAとして、ぜひ継承してほしい。私自身も、池田さんの遺志を受け継いで、池田さんが書き残した分を含めて、ネット上で“電子紙つぶて”を投げ続けたいと思っています」。

 ついで山埜井乙彦さん(有楽町整理部時代からのレジェンド記者。94歳)は「整理本部OB仲間の旅行はゼンブ池ちゃんが仕切って計画を練り、細かく設定されて、全国いろんなところに行きました。あの“編集能力”は見上げたものです。私は池ちゃんに火を点けられて……以来ひとりで全国を旅しています。94歳になっても旅に出られるのは池ちゃんのおかげです。その池ちゃんが……先に旅立たれて……」と。

昭和30年初頭頃の「池ちゃん」

 懐かしくも強烈な思い出噺も出た。昭和35(1960)年6月15日(水)夕方も遅く、「池ちゃん」とある後輩は夕刊が終わって有楽町の毎日新聞社を出てお馴染みの「すし屋横丁」へ飲みに行くところだった。「池ちゃん」は突如「おい、国会前に行こう!」。

 時は「60年安保闘争」真っ最中の夜。4日前には「ハガチー事件」があったばかり。新安保条約は「民主主義の破壊だ」……全学連どころか一般市民にも反対運動が広がり、国会議事堂周囲をデモ隊が連日取り囲んでいた。「池ちゃん」は俺たちも加わろうというのである。後輩は「やっぱア、新聞記者は行かない方がいいんじゃないの……」と、なだめた。「池ちゃん」はしつこい。しかし、ちょっと冷静になったのか、足は「すし横」へ向かい、入った店が「赤星(あかぼし)」。なんかトロツキストみたいですね、店の名前。

 ま、いいのだいいのだ。毎日新聞の記者連が寄り集まるハシゴ段を登った二階の飲み屋だった。店ではラジオが鳴っていた。「池ちゃん」の酔談はもっぱら安保闘争の推移と新聞紙面の扱い。その頃、紙面は硬派軟派そろって安保安保で埋まっていた。「岸信介が安保騒動」と称したことに「冗談じゃア、ないヨっ」と怒る「池ちゃん」。その頃、国会前デモは30万人。赤星の女将が叫んだ。「ラジオが言ってるわよ、死者が出たらしいってサ。タイヘンなことになってるようよ……」。二人は黙って飛び出し編集局へ駆け上った。日付変わって6月16日深夜には岸内閣が緊急臨時閣議声明を出すほどの大事件。紙面づくりはひっくりかえっていた。それもそのはず、樺美智子の死んだ夜であった。 

 ◇

 「池田龍夫さんを偲ぶ会」は笑いと昔噺が交錯して面白く終幕。いちばん喜んだのは「池ちゃん」であろう。「池ちゃん」が本当に出席しているのであれば ”締め” に「俺に歌わせろよ……」と言って登壇。イベット・ジローばりに『 〽 あの子と ただ〜二人 石けり〜をしては〜〜遊んだ〜懐かしい〜春の日イ〜〜』……『バラ色の桜んぼの木と白い林檎の木』を歌うのだが……。

(諸岡達一・記)